百済寺 – 湖東三山|東近江市

前日のブログ金剛輪寺の坂道が思いがけずキツかったので、「山を下りたらお昼にしよう」を楽しみにしてきつい階段を下りて来た。
そして、行きに見つけていたゲート近くの「華楽坊」で精進料理を頂いた。
正午少し前で、団体客もなくゆっくり出来た。
ここで、二山が終わった、残すは「百済寺」だけ。
金剛輪寺の坂道を経験すると、それ以上恐れる坂道はない。
百済寺はかつて「地上の天国」と称されたほど、自然豊かな美しい古刹。
駐車場は通用門、売店の近くなので、400m歩く赤門を通らずに本坊喜見院にすぐに行ける。
その表門内側の書院に面して壮大な池泉回遊・鑑賞式庭園がある。
湖東三山の中では私は一番好きな庭園だ。
池と10トン以上の巨石の間に赤や黄色の紅葉を配し、松の緑が絶妙のバランスで引き立てている。
本坊の後ろから山上の本堂への道が通じている。
石の階段を進むと仁王門が現れる。
ここの草鞋は特別大きい。
作家の五木寛之さんが『百寺巡礼』の35番目にこの百済寺を参拝した時に、年齢と体力の点で残る65寺院の巡拝・訪問を大層心配されて、この大草鞋に「満願成就」の願掛けをしていきました。
という事で全国的に有名になった大草鞋、草鞋に触れるて無病長寿が叶うと言われて皆が触って行ったそうですが、最近はその説明もなく触る人も見受けなかった。
登りきるとこのページのトップ写真の場所に出る。
眼下に遠く比叡山が見えた。
百済寺は、北緯35度線上にあり西に向かって、太郎坊・比叡山・次郎坊(鞍馬山)を経て西方880kmの彼方には「百済国」がる。
多くの渡来人は百済寺の地から「望郷・遠望の想い」で母国を偲んだと言われている。
百済寺の歴史は、1400年以上前の推古14年、聖徳太子さまによって創建された近江国最古級の寺院である。
平安時代、比叡山延暦寺が開創されると、やがて当寺院も天台宗となり、その規模は拡大され「湖東の小叡山」、「天台別院」と称されるほど壮大な寺院になりました。
元亀4年(1573)には、織田信長の焼き討ちによって全山灰燼に帰してしまいましたが、御本尊「十一面観世音菩薩」(別名:植木観音菩薩、全高3.2m)は背後の山を越えた8㎞先の奥の院に避難することができ焼失を免れています。天正12年(1584)には仮本堂が建てられたものの、長らく再建には至りませんでした。(HPより)
しっかり勉強すれば信長の焼き討ちの内側も知ることが出来ると思うけれど、私は歴女ではないので、説明書きを写して終了とした。
帰り道近くの道の駅によるとひまわり畑が残っていた。
全花が同じ方向を向くでもなく、季節の終わりを感じる。
家の近くまで帰ったら、綺麗な夕焼けに比叡山のシルエットが浮かんでいた。
観光情報
名称 | 天台宗 湖東三山 釈迦山 百済寺 |
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住 所 | 〒527-0144 滋賀県東近江市百済寺町323 (旧) 愛知郡愛東町大字百済寺丁323 |
TEL・FAX | TEL:0749-46-1036 FAX:0749-46-2096 |
駐車場・ 各交通機関 |
■ 車の場合: ・京阪神方面からは、名神「八日市IC」より10分(池之尻信号で国道307号を横断後5分) ・名古屋方面からは、名神「湖東三山スマートIC」から5.5km、約8分(ETC車専用) ・名古屋、桑名、四日市方面からは、国道421号「石樽トンネル」を出て20分(高野街道経由) ■ 電車の場合: ・JR琵琶湖線「近江八幡」駅下車→近江鉄道「八日市」駅下車、タクシー(約10分) もしくは、ちょこっとバス(愛東北回り約30分)で「百済寺本坊前」まで。 「ちょこっとバス時刻表」はこちら ・JR琵琶湖線「能登川」駅下車→角能線の湖国バス「百済寺本町」~徒歩12分 |
滋賀県東近江市百済寺町323 ※店舗及び、ギャラリー・美術館などの情報は記事作成時点のものです。最新の情報は公式ホームページにてご確認ください |
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