円安と観光ブームに沸く京都:変わりゆく日常と日本の課題

久しぶりに京都の川端通りを走っていた時の事。 四条大橋の信号で停車してふと外を眺めて、「ここは外国か?」と錯覚するほど、周囲は外国人観光客で溢れていた。信号待ちをしている人の中に日本人を探すが、圧倒的に外人が多い。
世界中から多くの人が、日本を訪れてくれるのは嬉しいことである。 しかし、ふと疑問が湧いた。急増する訪日外国人に対して、日本の受け入れ体制は十分に整っているのか、満員電車(日本)に押し込むだけ押し込んでいるようで気にかかる。
スマホ機能の充実と円安の影響もあり、個人旅行が容易になったこともあって、日本中のどこでも訪日外国人を見受けるようになった。その流れはまるで堤防が切れたかのようで、日本の観光インフラや社会がその勢いに追いつけていない現状を感じる。しかし、旅行者を制限するわけにもいかないのが現実である。
今では、観光客だけでなく、犯罪組織や麻薬に絡む事件など、かつての日本では考えにくかった問題も出始めている。まるで明治維新の文明開化の頃のように、私たちは変革の狭間に立っているのかもしれない。
今、日本が決断を求められているのは、大幅な変化の波をどう受け入れるか、適切に対応出来るかという重要な課題である。観光業の活性化とともに、社会の安全と文化の守り方も見直す時が来た。
いつの間にか隣人は外国人だったという日は、そう遠くないかもしれない。
しかし、その変化が日本にとって未来にとってポジティブなものとなるように、日本社会として準備し、調和のとれた共存を目指して進んでいく必要がある。
と、感じながら南座の前が通行できないくらいの外国人で溢れているのを眺めていた。
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