旅ゆけば―観光編・青森県・三内丸山遺跡
青森県の三内丸山遺跡は、縄文時代前期~中期(紀元前約3,900~2,200年 現在から約5,900~4,200年前)に青森市の中央部を北東へ抜けて青森湾に注ぐ沖館川の右岸台地上に営まれた35haに及ぶ大規模な集落跡である。
遺跡は兎に角広い、それに私は遺跡の知識は皆無である。
でも青森に来たならパスは出来ない。
一生に一度のチャンスなのだから。
そんな私たちにピッタリの無料ガイドがあった。
遺跡内の要所をくまなく回り、地形・当時の気候、復元住居・建物の解説してくれる50分のツアーである。
午後3時からのツアーだったせいか参加したのは5名だった。
ガイドは女性で、聞きやすい声のトーンだったので解説に集中できた。
三内丸山遺跡の成り立ちは、以前から土偶などが発見されていたことから1992年に県営野球場を建設するために事前調査をした。
その結果、直径1mの栗の柱が6本見つかった。
大型建物の跡とも考えられて、野球場建築を中止し遺跡を保存することになった。
31年前の事である。
集落は住宅、道路が計画的に造られていた、その他に食品の貯蔵穴、粘土採掘穴、墓地等の跡地が残っていた。
世界遺産ではあるけれど、地上にある建物は跡地から想像して復元したものである。
代表的な3層建ての櫓は、巨大な六つの柱の穴があり、そこに栗の巨大な柱があった事は確認されている。
復元する時に日本では材木の調達が出来ずロシア産を輸入している。
縄文時代の地層が保存されていた。
遺跡の理解度はガイド次第ともいえる。
とても勉強されているようで、どんな質問にも答えられるプロ意識の高い方々だと感心した。
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