坂の上の雲ミュージアム訪問記 ― 私には少し遠かった雲

今回の四国旅行には、三つの目的地があった。
その第一は、かねてより憧れていた四国カルスト台地である。標高およそ1000メートルの天空の高原をドライブするという夢を果たすことができた。

次なる目的地は、松山市内に戻り訪れた「坂の上の雲ミュージアム」である。

「まことに小さな国が、開花期をむかえようとしている」
司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』の冒頭である。この格調高い一文に魅せられ、私は松山泊まりを決めたのであった。

この作品は、明治という激動の時代に、日本という小さな国が、ヨーロッパの最古の大国の一つであるロシア帝国といかにして対峙したかを描いた物語である。

物語の中心には、伊予松山に生まれた三人の人物がいる。
「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」で知られる俳人・正岡子規。
「本日天気晴朗なれども波高し」という、歴史に残る電文を起草した秋山真之。
そして、真之の兄であり、日本の騎兵戦術を築き、コサック騎兵を破るという快挙を遂げた秋山好古である。

ミュージアムではこの三人の足跡を、年表や資料、映像などを通じて辿ることができる。
なかでも、日露戦争における作戦立案を担った秋山真之の資料には深い印象を受けた。戦略家としての冷静な分析と、日本海海戦を勝利に導いた知性が秀でて見えた。

しかしながら、私にとってこのミュージアムを「楽しむ」ことは難しかった。
その理由は、館内の構造にある。展示空間は各階がスロープでつながっており、これは『坂の上の雲』の主人公たちが、理想を目指して歩み続けた道のりを象徴しているという。


だが、膝が痛い私にとっては、その坂が大きな障壁となった。車椅子の貸し出しもあると案内されたが、坂道での使用には不安があり、少しずつ自分の足で進むしかなかった。
そのため、壁面にずらりと並ぶ資料に足を止めて読むことも困難であり、次第に「見る」ことよりも「歩く」ことが目的になってしまった。

それでも、スタッフの親切な対応には感謝している。車での来館に対し、丁寧にエレベーターで会場入り口まで案内してくれた。
展示の内容も建物の設計も素晴らしかった。ただ、私にとって「坂の上の雲」は、物理的にも、そして心の距離としても、少し遠い場所にあるように感じられた。

※ミュージアムはスロープ構造のため、足に不安のある方はご注意ください。スタッフの対応はとても丁寧でした。

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