名園・栗林公園を歩く旅の終章

四国を巡る旅の最後に選んだのは、香川県高松市にある栗林公園である。
その名は耳にしたことこそあれ、これまで庭園というものにあまり関心を持ってこなかった私にとって、ここは旅程の中で最も未知の場所であった。だが、旅の終わりを迎えるにあたり、立ち寄ることを決めた。
その決断は、結果として豊かな時間をもたらすこととなった。
私は広大な庭園に対して、どこを見ればよいのか要領を得ず、今まで敬遠してきた。しかし、今回の旅を逃せば、次に栗林公園を訪れる機会はもうないだろうという思いが勝った。園内は広いため、歩行が困難ではないかと同行の二人はしきりに心配したが、鳥取花回廊で1キロメートルを歩いた実績をもって押し切ることにした。
もっとも、栗林公園についての予備知識はほとんどゼロに近かった。
実際に庭園に足を踏み入れるまで、ここが国の特別名勝に指定されている、日本一の大きさを誇る文化財庭園であるとは知らなかった。高松藩(現在の香川県)の領主である松平家の別邸として江戸時代に造営され、歴代の藩主により修築が重ねられ、約三百年前に完成したとのことである。加えて、「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」では最高評価の三ツ星に選定されているという。広大な敷地には回遊式庭園が設けられているとの説明を目にして、俄かに興味が湧いた。
入り口を入って一番初めに目に飛び込んだのは、手入れの行き届いた美しい松が立ち並ぶ姿であった。その姿は圧巻で園内には約1400本もの松が植えられているという。
特に印象深かったのは、「商工奨励館」の前にある「鶴亀松」である。別名「百石松」と呼ばれ、松平家の家老があまりにも松の手入れに熱中するあまり、政務に遅れたことで俸禄を百石(現在の価値にして約一千万円)減らされたという逸話が伝わる。その名の通り、石組で亀の姿を、松の枝ぶりで鶴が羽ばたく姿を表現しており、庭園美術の極致を見る思いがした。
商工奨励館の内部には香川県の文化・芸術・産業が紹介されており、本館2階には家具作家ジョージ・ナカシマの作品が展示されていた。時間の都合で訪問を諦めた桜製作所の記念館に代わって、彼の椅子に触れられたのは思いがけない幸運であった。ただし、展示はラウンジチェアが数脚のみであり、やや物足りなさを覚えたことも事実である。
館内はさらに、北館に現代美術家による栗林公園をテーマとした作品、西館では讃岐うどんの歴史や香川の食文化に関する展示があり、地域の食材を使った飲食施設も併設されていた。庭園の美観のみならず、文化や味覚にまで触れられる点は、この公園の総合的な魅力を高めていると感じた。
栗林公園は典型的な回遊式庭園である。築山や池、滝が巧みに配置され、見る者に変化と発見を与える構成となっている。特筆すべきは、池に浮かぶ小舟から景観を楽しめることであろう。水面から仰ぐ松や山影は、地上から見る風景とは趣を異にし、より一層、風雅な世界へと誘ってくれるように思われた。
「栗林」という名称から、私は当然、栗の木を想像していた。だが実際には園内に栗の木は見られず、地名においても「栗林」の文字は存在しない。庭園が「松の名園」として知られていることは、予備知識を持たずに訪れた者にとっては意外性のある驚きであり、それだけに記憶にも強く刻まれる結果となった。
予想を遥かに上回る広さと内容に、結局、園内の三分の二ほどを巡ったところで時間切れとなり、名残惜しくも出口へと向かった。もっとも、知識を持たずに臨んだからこそ、得られた感動もあったように思う。
帰路は渋滞が予想される淡路島を避け、坂出から瀬戸大橋を渡って本州へ。距離にして約300キロメートル、所要時間は4時間は要さなかった。
どこを見ても手の行き届いた庭園に、長い時の積み重ねと、人の思いが感じられた。
最後まで巡りきることは叶わなかったが、それでも、この地を訪ねたことには大きな意味があったと感じている。
穏やかな瀬戸の夕陽に見送られながら、旅の終わりにふさわしい一日を振り返った。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。