凶作の年にこそ甘し、呉羽の梨

富山に行くとなると、金沢に行く時よりも心持ち緊張する。金沢までは日常の延長のように気軽に足を向けられるが、その先さらに1時間、距離にして67キロ余を走るとなると、少なからず心構えが要るのである。琵琶湖からの出発で片道250キロを超える道程となれば、日帰りよりも一泊を選ぶのが常になった。歳月の流れとともに、旅の距離感や体力の配分が変わってゆくのを実感するのである。
数ある富山の魅力の中で、私にとって特別な存在は「呉羽梨」である。呉羽丘陵一帯で育まれるこの梨は、糖度が高く、果肉はやや柔らかみを帯び、瑞々しさと優しい甘味が調和する。その上品な味わいは、他では代えがたいものである。今年はその呉羽梨が凶作と聞いた。梨の季節が近づくと、私は農園に電話を入れ、「梨はできましたか」と問うのを習慣とした。電話口でのやりとりは短いながらも、梨を待つ心は次第に昂ぶっていった。
8月の末、ようやく「贈答品はありませんが、家庭用の袋詰めなら何とかご用意できます」との言葉を得た。待ちに待った知らせであった。販売は午前9時半開始とのことで、私は午前6時に家を出た。道中の空はすでに夏の盛りを映し、照りつける太陽からは逃げ場も無かった。農園に着いたのは9時を少し回った頃、すでに駐車場は満車で、客たちは車中のエアコンに身を潜めて開門を待っていた。真夏の太陽は容赦なく、フロントガラス越しに肌を焼くようであった。
9時半きっかりにシャッターが開くと、人々は一斉に農園へと流れ込む。私は予約をしていたので慌てることはなかったが、予約のない客は20袋にも満たぬ梨を奪い合う。去年は大豊作で実も大きく、潤沢に出回った。しかし今年は大凶作、玉は例年になく小ぶりであった。それでも農家の人は「その分甘さが凝縮しております」と胸を張る。天候不順で桃も不作であった。自然に翻弄される農業の苦労は想像に余るが、その厳しさが凝縮した甘みとなって実るのかと思うと、ひと口ごとに重みを感じずにはいられぬのである。
梨を受け取った後、JA富山の販売所に立ち寄った。そこにも梨は並んでいたが、ひと袋千円ほどで農園の半額以下と値は手頃であった。しかし小ぶりで、農園でおまけにいただく梨と大差なく、今年は購入を見送った。その代わりに気になるのは新米である。

店頭に掲げられた札には「5キロ4550円」とあった。その数字を目にした瞬間、思わず足が止まった。買い物客も少なく、売れ行きも芳しくはなさそうであった。今年の米価はどう動くのであろうか。米は食卓の基盤であり、これが高騰すれば連鎖的にあらゆる物価が上がる。
梨の甘さの余韻の中で、米の値の重さが心にのしかかる。
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