湖畔の一夜 ― オーベルジュ・チミケップ滞在記

オーベルジュ・チミケップは、かなり前に雑誌で見た写真に魅せられた宿である。
湖畔に静かに佇む建物の姿と、有名シェフによるフレンチディナーの美しい皿の数々。
そのページを眺めた日の憧れが、ずっと心の隅に残っていた。
もう北海道へ旅する機会も少なくなるだろう。
そんな思いがよぎったある日、思い切って予約を入れた。
夜の闇を切り裂くように悪路を進み、ようやく到着したとき、ホテルの建物は灯りに包まれていた。
外まで出迎えてもらい、ホッと一息ついた。どうやら今夜は貸し切りのようだ。
実のところ、貸し切りという状況は少し苦手である。
到着が遅かったため、すぐに夕食が始まった。
コースはフレンチ。ひと皿ずつ丁寧に運ばれた。アルコールが飲めない私たちのテーブルでは、皿は瞬く間に空になった。
アミューズはヴィシソワーズ、ニンジンのジュレ、フェンネルのサブレ。

オードブルは津別産のミニトマト、キュウリ、カブ、そして八雲産のタコ。

夏のトマトは皮が硬くなりがちだが、津別のトマトはやわらかく、グリーンのトマトは甘味が際立っていた。
魚料理は根室産のサンマ

しかし、目の前に現れたのは見慣れぬサンマの姿である。
我が家では頭付きが定番で、長皿からはみ出すほどの堂々たる姿。
それに大根おろしとスダチを添えれば、もうご馳走である。
この皿の上のサンマは、どんな気持ちだろうか。
付け合わせは茄子とすだち。和と洋が交わる一皿であった。
続いて、北海道産のエゾ豚・鴨・鶏を使った三種のパテ。

添えられた冬瓜とビーツが彩りを添える。
さらに、根室産のオヒョウが登場。アメリケーヌソースの香りが食欲を誘う。

エビの殻をじっくり炒めてとるソースの甘みとコクが、白身の旨味を包み込む。
メインは十勝産エゾ鹿外もも肉。

ハスカップのソースが酸味と深みを加え、鹿の美味しさに目覚めた。


この夜、厨房にはシェフとギャルソンの二人だけ。
たった三人の客のために、これだけの手間を惜しまずに作られた料理であることが伝わってきた。
音のない夜。暖かい灯りの下で、時間の流れが止まったかのようであった。

オーベルジュという場所に、遅く着いて早く発つのは実にもったいない。
本来なら午後三時には到着し、湖畔を散歩したり、暖炉の火を眺めながら雑誌をめくる時間を過ごしたいものである。
しかし、勿体ない事にビジネスホテルのように、翌朝は早々に宿を後にした。
短い滞在ではあったが、心に残る一夜であった。
湖畔に灯るオーベルジュ・チミケップ。その静けさと悪路は、忘れ得ぬ思い出になった。
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