臥龍山荘‐愛媛県大洲市

臥龍山荘は内子町から14kmで距離的には泉谷と変わらないが国道56が走っているので15分もあれば着いてしまう。
近くには大洲城があり、おはなはん通りがある。(昭和41年のNHK朝ドラ「おはなはん」のロケ地)
山荘は、市内を流れる肱川河畔の中で最も優れた景勝地にあった。
幕末までは歴代藩主の遊賞地として保護されたが明治維新後は補修工事もされないまま廃屋となっていた。
現在の山荘は木蝋貿易で財を成した河内寅次郎が余生を過ごす場所として明治30(1897)年頃に購入したものである。
京都から名工たちを呼び寄せ、構想10年、着工から3年8カ月で完成させた数寄屋造りの傑作である。
3000坪にも及ぶ敷地に桂離宮や修学院離宮などを参考として設計された部屋が造られている。
外から見ると長い塀がどこまでも続いているが入り口はひっそりと小さかった。

臥龍山荘入り口の黒門、足元には伊予上灘産のげんだ石が敷かれている。
山荘は建物も見事だけれど庭の石積みも趣き深い。
末広がりの美しい「末広積み」の石垣から、横長い石を肱川の流れに見立てた「流れ積み」等々珍しく他所で見ることのない石積みである。
日本中に財を成した人の豪邸があり、機会があれば拝見しているが、臥龍山荘はそれらの豪邸とは少し趣が違う感じがする。
主屋が平屋の寄棟造りで平入屋根であることからだろうか。
部屋7室は、それぞれデザインに工夫がされている。
「夏の部屋」と呼ばれる「清吹の間」は北向きで他所の部屋よりも天井を高くして、籐の敷物が敷かれている。
部屋に入って一番初めに目に入るのは見事な透かし彫りの欄間である。
清流と筏流しの花筏で春を表現し、他にも水紋で夏を、菊水で秋を表す欄間と、冬を表す雪輪窓があり、四季それぞれを水にちなんだ細工で表し、見た目の涼しさを生み出している。
猛暑の日だったけれど、座敷に座っているとヒヤヒヤと涼しい風が通り抜け「夏の間」の居心地の良さを実感した。


建物は3棟あって、臥龍院、知止庵、不老庵と名前がついている。
それらは、肱川に沿って細長く庭園の中に点在している。

臥龍院から不老庵に行く途中に風呂場を改装した茶室「知止庵」がある。
その入り口に書かれた注意書き「はいられません」
これは「伊予弁」ではなかろうか。
大抵の所は「入室禁止」と書かれている。「はいられません」は優しくソフトに伝わる。
けれど、意味の分からない人もいるのではとフッと思った。

敷地の一番先端には「不老庵」がある。

「不老庵」は臥龍淵を見下ろす崖に舞台造りに建てられて、全体を屋形船に見立てている。


畳の下を川が流れているような錯覚をするほど川にせり出され建物である。
竹で編んだ天井は、蒲鉾のような丸みを持たせた造りになっている。
「臥龍淵の川面で反射した月明かりがほんのりと天井を照らし、川のせせらぎとともに月明りのゆらめきを堪能できるようになっている」と説明されてため息ばかり。

「不老庵」の裏手で軒桁を支える木の柱は、地面に生えたままの槇の木である。建築当時から現在まで生き続けている。
「捨て柱」と呼ばれて見所になっていた。

庭園も10年の歳月をかけて造られた。
庭にアクセントを加える灯篭や敷石、飛び石に様々な工夫があり、中には石臼も使われている。
飛び石を包み込むように苔も多数生育している。
庭から振り返る「臥龍院」の静かな佇まいは一層の品格を感じる。



再び内子町に帰って「内子座」の見学時間に間に合わなければならない。
と、焦りながらも「おはなはん通り」のお洒落なギャラリーも一寸寄り道。
最近は内子以上に大洲に人気が出ているらしい。

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