能登半島の旅ー珠洲焼

能登旅のもう一つの目的は珠洲焼を訪ねる事
珠洲焼を知ったのは友人のブログがきっかけだった。
「幻の古陶珠洲焼」が400年の眠りから覚めて能登の先端珠洲で注目を集めていると知れば好奇心が湧かないはずはない。

「月とピエロ」のあと、いつも立ち寄る「しら井」で海苔、昆布、塩を買った後、能登半島の背骨をひたすら珠洲に向かって車を走らせた。
畑や時々海を見てひたすら1時間走ると突然大きな煙突が見えた。
家人の大好きな七輪を造る工場の煙突だった。
能登の七輪は、能登珠洲市の天然珪藻土を切り出して、職人さんが一品づつ生産する。
かなり高価で直ぐには買えないのは幸いだった。
珠洲焼資料館は七輪工場のすぐ隣にあった。

珠洲焼は平安時代後半から室町時代中期ににかけて現在の珠洲市周辺で作られた中世を代表する焼物で、室町時代の初期にその流通は船によって日本海側に流通し、日本列島の四分の一に広がるほど隆盛を極めた。
しかし、戦国時代に忽然と姿を消した。
その理由は未だに解明されていない。

以来、「幻の古陶」とよばれてきた珠洲焼が、わずかに残された断片からその姿が明らかになるにつれ、素朴で力強い美しさが人々の心を魅了し、昭和になって再び発祥の地に蘇った。
と言うのが珠洲焼の来歴でる。
そしてその特徴は
『須恵器の系統を継ぎ、釉薬を使わずに穴窯で焼き締める技法を用いています。珠洲の土は鉄分が多く、薪で焼くことで還元がかかり、薪の灰が溶けて自然の粕薬となり渋い黒灰色となります。叩き紋、綾杉紋、印花紋、秋草紋などの装飾が施されているのも特徴です。』珠洲焼創炎会【窯元・陶芸作家】の公式サイトより

製造技術は兵庫県の東播系窯や愛知県の渥美、常滑窯からの影響を受けた。
「日本六古窯」と同じ時代に焼かれたものだけれど珠洲焼は姿を消し日本六古窯に数えられていない。

玄関を入ると凛とした展示室に大きな壺が並んでいた。
珠洲焼初期の作品や珠洲焼のルーツとされる須恵器が展示される部屋
二室は遺跡からの出土品や海底に眠る珠洲焼のジオラマ
三室は復元古窯の作品室

展示の仕方で観るほうの関心度も変わる。
途絶えたものを復元するというエネルギーの強さが伺えるいい展示だった。

資料館の向かいには珠洲焼館がある。

ここでは作家の作品を購入出来る。

ひとつ心を魅かれる作品があったが、周りの作品とは一桁違っていた。
「それでいいのよ」と諦められた。

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