下北半島-恐山

まさかりの形をした下北半島、その中ごろにある恐山にお参りすると、亡くなった家族と話をすることが出来る。
何時の頃からか、恐山の地名は頭の中にあった。

ツアーだけれど、時間にはゆとりがあるようなので、「イタコの口寄せが出来たらいいな」と少し期待をしながら大間崎からバスに揺られて行った。

テレビのドキュメンタリー番組で観た時の雰囲気とは違って、夏で昼間の恐山は「あっけらかん」としていて、コロナの所為か人影も少なく、気持ちはそがれた。
イタコも恐山にいるわけではなくて「恐山大祭」の時にだけ境内にテントを張って口寄せをするらしい。
ホッとするような、がっかりするような気分になった。
母を亡くした時より、姉母を亡くした時の方が喪失感が大きい。
姉母の延命をしないという事は私が決めた。
今でもその思いに迷いはないし、姉母も元気な時はそう言っていたけれど、本当にそれでよかったのかと聞いてみたかった。

恐山には周遊できるように道が造られていた。
硫黄の匂いがする道を歩くと、菩提寺の周りには石が積まれ、そこには風車が回っている。
イメージは、想像するあの世の風景だ。

道の途中で宇曽利湖に着いた。
噴火で形成されたカルデラ湖で、硫黄が流れ込んでいるような風景と匂いがした。
荒涼とした石ころだらけの道は地獄を連想させるけれど、行く前に想像したような重苦しさはなく、
普通の観光地のようだと思った。
けれど、行かなければ分からないし、一部の人には信仰の聖地でもある。

男鹿半島、津軽半島、下北半島と気になっていた北の半島を回る旅は、下見のつもりだったけれど個人で行くことはなさそうだ。

その後は、久慈駅まで三陸鉄道に乗車したり、北山崎や浄土ヶ浜の景観を楽しむ予定だった。
この日は、朝から冷え冷えとした空気を感じていたら「やませ」(北日本の太平洋側で春から夏に吹く冷たく湿った東よりの風のこと。)が発生して、北山崎の景観は霧の中だった。
関西では経験のなかった「やませ」を実感すると、夏の冷害の深刻さが分かったような気持になった。

最終日は中尊寺や毛越寺を回った。
中尊寺では5月には咲いてなかった中尊寺蓮が開花していた。
思いがけなく中尊寺蓮の花を観られたのは、旅の締めくくりとしては上出来だった。

このハスの種子は、平安末期の奥州藤原氏父子四代の御遺体が安置されている金色堂で、藤原四代泰衡の「首桶」から発見されたもので、平成10年に800年の眠りから覚めて開花したものです。

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