新年の電話

年が改まると毎年電話をくれる友がいる。ところが今年は電話が無い。しばらく様子を見ていたが、次第に不安が募るばかりだった。それで、思い切ってこちらから電話をかけてみたが、応答はない。しばらく待ったが、かけ直しはなく、不安は募るばかりだった。とうとう「生きているなら連絡ください」とLINEメッセージを送った。しかし、それでも返信はなかった。
夜も更けてきたけれど、再び電話をかけた。長い呼び出し音が鳴るものの、やはり出てくれない。辛抱強くかけ続ければ、誰かが気付くかもしれないと思い、何度も繰り返した。すると、ようやくポツリと受信音が鳴った。誰でもいいから出てほしいという気持ちでいっぱいだった。しばらくガサゴソと物音が聞こえ、やがて「アレアレ」という彼女の声が聞こえてきた。「もしもし」と叫び続ければ通話中であることは分かるはずなのに、彼女はしばらくしてからようやく「もしもし」と応答してくれた。
思わず「生きてた!」と叫んでしまった。
すると彼女も「心配したわよ、何回電話しても出てくれないんだもの」と言う。
あれ?着信なんてついていなかったはずだ。どうやら、彼女はいつもの携帯電話ではなく、既に使っていない番号の固定電話にかけていたらしい。
「もう、見切り発車でお家に行こうと思っていたのよ」と、彼女は怒りながらも、私の無事が確認できたことに安堵していた。
そして、彼女が私に伝えたかった「重大な用件」は、「今年は八朔が不作である」ということだった。
彼女の年初の電話は八朔の報告であると言うのが通年であった。そういえば、今年はまだ八朔も文旦も見かけない。年末に訪れた和歌山の「めっけもん広場」が閑散としていたことを思い出した。
安曇野の林檎がなくなる頃には、いつも八朔と文旦が代わりを果たしてくれていたのに、今年は期待できないらしい。それは非常に残念な知らせだった。
しかし、それ以上にショックだったのは、彼女がLINE電話の存在をすっかり忘れていたことだ。その理由を聞くと、耳が遠くなり、携帯電話が苦手になってしまったのだという。家族との連絡は固定電話を使うことが多くなり、彼女にとって固定電話がメインの通信手段になっていたのだ。
電話で事情を聞きながら、10年以上一人暮らしを続けている彼女の生活を思い出した。次に彼女から電話がくるのはいつになるのか分からないけれど、何とも言えない寂しさがあった。
何度かlineメールを送信して慣れてもらおうかと考えている。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。