予測できるもの、できないもの

最近の天気予報は、ずいぶん正確になったものだと思う。
湖国の桜のピーク、海津大崎の見頃と土曜日の雨模様は、1週間も前から予想されていた。

例年なら、おにぎりを用意して、誰もいない琵琶湖のほとりで、熱いお茶と一緒に桜を楽しむ。それが私のささやかな恒例だった。
けれど今年は、少し遠出をして桜を見ようと考えている。そもそもこの計画も、雨の予報を見て日程を変更した結果だ。

もっとも、予報を知った瞬間に、少し気持ちが下がるのも事実である。
雨と分かってしまった桜は、どこか色褪せて見える気がする。
それでも、知らずに当日を迎えて落胆するよりは、心の準備ができる分だけ良いのだろう。

衛星観測が進んでから、その精度は格段に上がった。
空の様子は、これほどまでに正確に読めるようになった。

一方で、世界に目を向ければ、戦争の様子さえ私たちは映像で知ることができる。
遠くの出来事が、すぐそばにあるかのように映し出される時代だ。

それでも、その戦争をやめさせることは簡単ではない。

天気のように、状況を正確に把握する技術は進んだ。
けれど、争いを終わらせる知恵や決断は、いまだ人間に委ねられている。

ふと考えることがある。
もし戦争終結の交渉に、感情に左右されないAIを送り込めたなら、もっと冷静で建設的な結論にたどり着けるのではないか、と。

しかし同時に思う。
争いの原因そのものが、人の感情や利害に根ざしている以上、それを解く鍵もまた、人の中にしかないのではないか、と。

予測できるものと、できないもの。
空の機嫌は読めるようになったが、人の心はまだ難しい。

今年の桜は、少し遠くで見ることになりそうだ。
それもまた一つの巡り合わせとして、楽しみとしよう。

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