人生の山脈

昭和19年から20年生まれは、今年80才を迎える。
若い頃は、80才の自分を想像する事もなかったし、生きているとは思ってもなかった。
ところがどっこい、最近は死ぬという自覚もない。
宇野千代さんは、98歳で亡くなくなったが、死ぬ前に「なんだかこの頃、私は死なないような気がする」と言いだしたと、何かの折に読んだことがある。
正に同感である。
最近、昭和の巨星が突然バタバタとお亡くなりになる、その半分の方は私よりもお若い。
そんな日はちょっと寂しく感じる。
何とも言えない不思議な気分なのだ。
「私は彼女らのようにチャンと死ねるだろうか」と。

「高齢者が集まると病気自慢している」と言われているのも知っているが、実際は自慢ではなく病院情報の確かな口コミを集めているのだ。
眼科,歯科、整形、内科、皮膚科何処もここ数年以内に何度もお世話になっている。
私は基本的に「治るのであれば、医師の助言に沿って努力は惜しまない」問題は「治るのであれば」である。
最近は高齢者の病気は治らないと達観している。
骨や筋肉は自助努力で改善できると信じて日夜努力を怠らないけれど、最近は、持ち上げようとする力よりも落ちていく力の方が大きいと感じるようになった。
けれど、それも悪くないと受け入れられる。
受け入れなければ元気になるという訳ではないし、そもそも上手く死ねない。
長生きするということは、たくさんの大切な人と別れるという事だから、死なない方が恐怖なのだ。

80才は人生の山脈を越えて着いた最後の山だと思う。自分の人生を使い切った時にこの山の頂上に着くのではないか。
そして穏やかに下れば「いい人生だった」と店じまいが出来る。

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