高い米と安い米ーお金に振り回される時代に思うこと

最近、テレビやネットのニュースを見ていると、妙に胸がざわつく。
交通事故、火災、殺人事件──何かが狂ってきているような感覚がある。
これは本当に「偶然」の出来事なのだろうか?

特に目につくのは、短絡的な出来事が増えていることだ。怒りや不満、焦燥感が突発的な行動につながっているように思えてならない。
その背景には、やはり政治の在り方があるのではないだろうか。
若者や弱者に対する救済や支援が乏しく、「弱肉強食」の社会が加速しているように感じる。

たとえば、米ひとつとってもそうだ。
「安くてもまずい米は嫌だから、高くても美味しい米を選ぶ」と言える人がいれば、
「主食なのだから、安い米が出てくれた方が嬉しい」と素直に喜ぶ人もいる。
どちらも間違いではなく、自分の暮らしに見合った選択をしているに過ぎない。

しかし、こうした判断すらも、結局は“お金があるかないか”によって左右されてしまうのが、今の世の中だ。
お金がなければ、我慢するしかない。
それが「当たり前」だと言ってしまえばそれまでだが、どこかに切なさや虚しさが残る。

本来、政治とはそうした切実な声に応えるためにあるはずだ。
けれど、今はその声が届かず、誰もが黙って耐えているように見える。
日々のニュースに映る事件は、そうした“声なき痛み”の積み重ねの結果なのかもしれない。

自分だけが苦しいのではない。その思いが、誰かを救う日が来ることを願っている。

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