静けさの中で思うこと

「何か面白い事はないものか」と、ふと贅沢な思いが心をよぎる。穏やかな日々が続くと、ついそんなことを考えてしまう。

朝から晩まで、絶対にしなければならないことなど何もない。家人はというと、日がな一日、花の手入れに余念がない。季節の移ろいと共に変わる庭の表情を相手に、黙々と時を過ごしている。

私と言えば、気がつけば一日が終わっているような有様である。かつては分刻みの忙しさに追われ、睡眠時間はわずか四時間という日々を送っていた。それが今ではまるで夢のように感じられる。

膝を痛めてからというもの、姪がつきっきりで世話をしてくれている。食事の支度も、献立さえ決まれば姪がほとんど仕上げてくれる。どうやら、それが彼女自身のリハビリも兼ねているらしい。心身ともに不安定な時期を過ごしてきた姪にとって、我が家での暮らしは、ある種の安らぎを与えているようである。

かつては、日々の生活の中に次から次へと「やらねばならないこと」が湧いて出た。だが、暇ができると、そうした用事の影はどこかへ消えてしまう。奇妙なことである。

家事とは本来、そういい加減なものではなかったはずである。にもかかわらず、今の私には、それが遠い存在になってしまった。何故なのだろう。体力の衰えか、気力の変化か。理由は定かではないが、生活の中の「役割」から離れたことで、時間の流れもまた、違うものに感じられる。

それでも、こうして何事もなく一日が過ぎていくことの有難さに、時折、気づかされる。日々の静けさは、決して空虚なものではない。ただ、忙しさに慣れすぎた心が、それに戸惑っているだけなのかもしれない。

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