心に棲む鬼

秋田の小学校1年生の豪憲君の殺人容疑で彩香ちゃんの母親に容疑がかかったといニュースを聞いても驚かなかった自分に驚いている。
豪憲ちゃんの事件を聞いた瞬間に頭をよぎった犯人像がそのままになったからである。
どうしてそう想ったのか。
何もかもが不自然であると素人目にも感じていた。
滋賀県でも送迎当番の母親が他人の子供を殺したのはつい最近のことである。
子供が親を殺す事件もこの頃は立続けに起きている。
人が人を殺すなどという事は正常な神経の人間の間では起こり得ない事と思っていた。
人間の心の中には安全弁があってどんなに怒っても悲しくても安全弁が効いて突飛もない事は起こり得ないはずであった。
この頃はその安全弁のピンが軽く吹き飛ばされる。
単に我慢が効かなくなったと評するわけにはいかない深刻な根源が日本社会の構造にあるような気がしてならない。
価値観の物差が個々に違う事は原因のひとつにはならないだろうか。
以前に山本一力の「身の丈を知る」という言葉が大変美しく響いたという事をブログに書いたが、身の丈も価値観が違えば何が身の丈なのか分からなくなってしまう。
夜になり、彩香ちゃんの母親は逮捕されたと報じられている。
彩香ちゃんは事故か事件か、振り出しに戻る所だろう。
この母親の心に棲む鬼は何を喰って安全弁を振り切ったのか。

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