孤独死は「悲惨なこと」なのか

「孤独死は悲惨なこと」――そんな価値観が世間には根強くある。
先日、ネット上で「孤独死は悲惨なことなのか?」という記事を見つけた。毎日新聞の記事だったので全文は読めなかったが、その見出しを見た瞬間、頭の中がぱっと光った。

私は「孤独死は悲惨ではない」と言いたい。

記事の冒頭には「孤独死は健康だからこそできることであり、寝たきりの人にはできない」と書かれていた。確かにその通りだと思う。

「死ぬとき、誰かに看取られたいか?」と問われれば、特にそうは思わない。ただ、「もう少しいい状態のときに会っておきたい人はいるかもしれない」とは感じる。けれど、その気持ちも徐々に薄れてきた。最近は毎日が“お別れ会”のようなものだ。明日のことは誰にもわからないのだから。

かつて、姉母(姉でもあり母のような存在でもあった人)が一人暮らしが難しくなったとき、こう言った。
「私が死んでも、誰にも知らせないで。」
その本音はきっと、「死に顔なんか見てほしくない」だったのだろう。

動物は死期を悟ると群れを離れるという。人間も同じなのではないか。
死んだ人に聞いたことがないのであの世のことは分からないが、私は「死」は「無」だと思っている。
この世の喜びも、苦しみも、すべて消え去り「無」の存在となると思う。
どれだけ未練を残しても、死んだらそこで終わる。

最近、私があれこれと取り越し苦労をしていると、家人はこう言う。
「死んだら何も分からなくなる。気にするな。」
それを聴いて私も納得している。次の事は生きてる人の仕事。

家族や医者に見守られ、「ご臨終です」と言われるのはドラマの話。
病院でさえ、医者が駆けつける訳ではない事は経験済みである。

今は、ただ精いっぱい生きることだけを考えればいい。
残された時間が短くなると、考え方はシンプルでいい。

孤独死を恐れず、誰にも干渉されず、これからを歩んでいきたい。

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