手作り餃子という追悼

餃子を手作りすることなど、すっかり忘れていた。
市販の餃子で十分に美味しいと思い、もっぱら既製品に頼る日々であった。

その餃子を「一緒に作ろう」と姪が提案してきた。
たまには手作りも良いかと、共に作ることにしたのである。
「いくつ作るの?」と尋ねると、「4人なら70個以上は必要でしょう」と姪は言う。
わが家の餃子は、せいぜい一人4個程度が常であった。もちろん既製品ゆえに、12個入りや20個入りを買って済ませていたからである。

それが今回は、70個を超える餃子を作るというのである。
「二人で包めば、なんとかなる」と覚悟を決めて作り始めた。
姪はニラの匂いをプンプンと立てながら、材料を黙々と細かく刻んでいく。
豚ミンチ約300グラム強で、最終的に75個の餃子が完成した。

「餃子は包んでから時間が経つと水分が出るから、調理直前まで包まないほうがいい」と姪は言う。
焼く段になって、皆がテーブルに着いてから初めて焼き始めるという徹底ぶりであった。まるで天ぷら屋のカウンターに座るような緊張感さえ漂う。

やがて「ジュ―」という音とともに、香ばしい匂いが部屋中に広がる。
片栗粉を溶いた水を回し入れ、パリパリになるまで音を確かめながら焼き上げる。

焼きたて熱々の餃子が皿に盛られると、皮の中にはぎっしり詰まった具が弾力を持ち、噛むと肉汁がじんわりとあふれる。

「ああ、美味しい」
自然と声が漏れる。餃子がこれほどのご馳走であったとは知らなかった。

姪にとって、この餃子は亡き夫の好物であった。
生前、夫のために何度も作り続けた思い出の味なのである。
「一人ご飯はつまらないから」と、今もこうして献立を考えては訪ねてきてくれる。

餃子を作る前には、おやつに蒸しパンも作つていた。

料理とは、単なる食事作りではなく、心を修復し、思いを形にする行為なのだと改めて感じた。

久しぶりに包んだ餃子。そこには、彼女の夫への追悼の味がした。

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