寺山修司さん

土曜日の夕刊に「名作のある風景」が掲載されている。先週は寺山修司さんで写真は恐山の賽の河原、作品名は「田園に死す」であった。
彼は60年代から70年代に活躍し、83年に47才でさっさとこの世を去った。
私は彼が活躍している時代は遠くから眺めていたに過ぎない。
トレンチーコートが似合い、ちょっと陰を感じる人であった。
もちろん接点などないが近寄りがたい印象をもっていた。その割りに演劇実験室「天井桟敷」や彼の印象を忘れる事はなかった。

大分県湯布院町の老舗旅館亀の井別荘にある茶房は「天井桟敷」という。
多分オーナーの中谷氏には思い入れがあると勝手な想像をしている。
偶然土曜の夕刊とその日買ったデイ.ロングデザインの15号に寺山修司の名前を見つけた。
寺山修司の陰を引くイメージの暗さはぬぐい去りがたく、また甘美で危険な魅力があった。
今までは印象、寺山修司であったが彼の没した年令をはるかに過ぎてやっと理解出来た気がする。
父親を戦争で無くした後、米軍基地で派手な化粧をして働く母親を憎悪し、かえって憎むほど故郷を愛し、母を慕う屈折する心が陰をかもし出したのだろうか。
化粧をする女性を「虚構によって現実を乗り切ろうとするエネルギーを感じる。虚構を持たない女なんて、退屈な家政婦にしかなれないでしょう」と毒のある文章を遺した人である。
故郷三沢市を嫌って東京に記念館を創りたいという母親の意志に反し、妻の九條今日子に遺言して三沢市に記念館を創った。
「母を殺し、故郷を捨てて自由になりたい」という意志は、母を残し故郷に還って行くという型で完結した。
「自分の人生を好きなように消費してこそ、自由と名づけるべきです」という彼はその通りに人生を消費したのかもしれない。

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