静かな時間が流れる町 ― 臼杵・二王座歴史の道を歩く

肌寒い雨は、止む気配を見せなかった。それでも臼杵には、どうしても訪れたい風景があった。それが「二王座歴史の道」である。
この通りは、臼杵城下に残る歴史的景観地区であり、江戸時代の武家屋敷や町家が軒を連ねている。白壁、土塀、そして石畳の道が続く様は、まるで時が止まったかのようであり、往時の面影を色濃くとどめている。
この界隈は、かつて臼杵藩の中枢を担った武士たちの屋敷町であった。現在もその格式を今に伝える構造物が丁寧に保存され、なかには登録有形文化財に指定された建物もある。外観のみならず、内部の構造や調度に至るまで、当時の生活文化が息づいている。
この細く曲がりくねった道は、もともと歩くために造られており、車での進入には適さない。あいにく傘をさして歩くことができなかった私は、車窓から見える範囲で満足するしかなかった。しかし、限られた視界であっても、この町が今に残す雰囲気は十分に伝わってきた。
この町には、個人的な思い出がある。小学校時代の友人が、誰よりも早くこの町に嫁いだ。その後、突然の訃報に接し、驚いて会いに行ったことがある。彼女は若くして胃がんで逝った。そんな少し寂しい記憶が、この町には重なっている。
騒がしさとは無縁のこの空間には、人々の暮らしの温もりが今も確かに残されている。観光地でありながら、どこか生活の匂いがするのだ。二王座歴史の道は、臼杵の歴史的価値を肌で感じることのできる、稀有な空間である。
昼食は、フンドーキン醤油発祥の地にある食事処「小手川商店」に予約をしていた。選んだのは「みそ汁御膳 花野」この郷土料理こそが、臼杵市の食文化を支える“質素倹約”の精神を体現するものである。
ご飯は白米ではなく、口なしで黄色に色付けされたものであった。これは、かつて臼杵藩の殿様が赤飯の代わりとして作らせたものだという。刺身や中落ちにおからをまぶし、かさ増しと栄養価を両立させた「きらすまめし」も、事前予約が必要な特別な一品である。
食事は歴史の残る座敷にて供された。その部屋には深い時代の匂いがあり、家具建具は時代物であった。空間の持つ重みに一瞬たじろぎそうになったが、提供された「みそ汁御膳」の素朴さが、その空気を和らげてくれた。もしここで贅を尽くした料理が並んでいたら、さぞや気後れしてしまったことだろう。
小手川商店の向かいには、本家にあたる小手川酒造がある。ここは、作家・野上弥生子の生家でもあり、隣接して文学記念館が設けられている。撮影は禁止されていたため、詳細はフンドーキン醤油の公式サイトをご覧いただきたい。
👉 フンドーキン醤油「野上弥生子ゆかりの地」
小手川酒造の酒蔵見学は気軽にできる。ここでは黒麹を使った焼酎を造っており、半年間寝かせた後、蔵の大甕に貯蔵するという。甕での熟成により、味はまろやかさを増し、時間とともにさらに深みを帯びていく。1986年から造り続けられている黒麹焼酎には、20年ものの貴重な酒も存在するとのことである。
見学を終えた頃には、八幡浜へ渡るフェリーの乗船時刻が迫っていた。こうして、大分を離れる時間が来たのである。
今では、大分に私の家族はもういない。「故郷」は無くなったと思っていた。
しかし、街の人々の話し言葉に混じる大分弁のアクセントは、懐かしかった。
そして、変わらぬ友人たちの友情。やはり、「帰ってきてよかった」そう思わせてくれる時間だった。
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