「林住期」を振り返り、「遊行期」を歩く今

五木寛之氏の著書『林住期』を初めて手に取ったのは、かなり昔のことであった。 そこに描かれていた「林住期」という人生のステージは、当時の私にはただの言葉しかなかった。
「林住期」とは、職業や家庭、世間の付き合いなどから自由になって、じっくりと己の人生を振り返ってみる時期で、50才から75歳までの間で人生の黄金期と言える時期である。
それに続く「遊行期」は、人生の最後の締めくくりである「死」に向かって還ってゆく時期。 成長する中で身につけた知識と記憶を少しづつ世間に返してゆく。 子供に還り、誕生した場所に還る。
この本を読んだ当時は、さほどに思わなかったが、「林住期」を過ぎて「遊行期」へ入っていくと、言葉の意味の重みが今更ながら胸に響いて来る。
そして、私は今「遊行期」の真っ只中を歩いている。
海辺で、波のうち返しを見ているような穏やかな気持ちになれる時期である。
それは、意識しないまでも「林住期」の充実感にあった。
55才からの千葉や博多での充実した生活、70歳までのskogの経営。何処を思い出しても楽しかった。
そして、80才になった今は、気持の中は元気いっぱいでも、明日は分からないという覚悟が生まれた。
今年になって、家族に迷惑のかからないように積極的に家中の片づけを始めている。
しかし、片付けはキリがない。きっと最後までキリは付かないだろう。
生きていると言う事はそんな事だ。キリをつけた端から広げ散らしているのだから。
最近の「林住期」は以前より10年以上の差が生まれているようであるが、平均寿命が100才になる事は無いのだから、「林住期」を楽しまないのは勿体ない。
「林住期」で得た充実感は、「遊行期」に繰り返す波のような安らぎをもたらせてくれる。
そして、その波を眺めながら、自分自身もまた自然の一部として還っていく事を受け入れられるようになる。
人生の最終章を穏やかに迎えるために、「林住期」と「遊行期」は大切なプロセスなのだと、今は実感している。
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