受け継がれる枝雀の魂──「しがらくご」の楽しみ

一昨日は今年初めての「しがらくご」の公演日であった。
つい先日の国道渋滞を教訓に、開場30分前に出掛けたら今度は開場の5分前に着いた。
ホワイエの灯りは付いていたものの、観客は10人も来ていない。1月末の一番寒い平日の夜と出にくい時間帯ではあるけれど、残念な光景であった。
しかし、終わってみると毎回少しづつ増えているような気がするが、もしかして客足が伸び悩み、中止になってしまったら本当に残念だ。
自宅から20分のこの会場は普段着で参加できる気楽な場所なのだから。ここに慣れると京都や、まして大阪は遠いと感じてしまう。
大津市にもっと文化の華が咲くように期待している。
「しがらくご」は桂米朝一門の「そうば」「歌之助」「紅雀」「二乗」とお馴染みの噺家たちの落語を聴くことができる。 。
この一門には、かつて桂枝雀がいた。『東の志ん朝、西の枝雀』と呼ばれたほどの落語家で晩年には英語で落語を演じるほどの探求心を持った名人だった。古典落語を踏襲しながらも、超人的努力と空前絶後の天才的センスにより、客を大爆笑させる独特のスタイルを開拓する落語家であった。その枝雀の最後の弟子が紅雀である。
枝雀がうつ病を患った時に献身的に支えた紅雀の落語には、師匠の面影が色濃く宿っている。
その「紅雀」の落語を2ヶ月毎に聴ける「しがらくご」は一番の楽しみである。
一昨日も目力、指先の動きにも隙が無く30分近くを演じきった。
特に、目の演技は圧巻だった。 視点の動き一つで登場人物の感情が伝わって来る。
紅雀の落語を聞いていると、枝雀が生きていたら、今どんな落語を演じていただろうかと考えずにはいられない。
枝雀は若くして逝去した。 しかし、彼の芸は紅雀によって受け継がれ、今も息づいている。
落語とは、噺家が語り続けることで生き続ける芸である。 師匠から弟子へ、そして観客の心まで繋がるその流れを、紅雀の高座を通して悟った。
次回は3月17日(月)
初めての2回公演 14:00 開演
19:00 開演
夜は出にくい方に向けて初めての試みです。是非お出かけ下さい。
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