タンゴを聴きに行った日 ― 期待と落差のあいだで

一月に続き、祇園JTNへアストロリコのライブを聴きに出かけた。
私にとってタンゴは単なる音楽ではない。心の奥底をえぐり、甘さと苦さを同時に突きつけてくる、人生そのもののような音楽である。その響きを求めて、足を運んだ。
一曲目はピアソラの「リベルタンゴ」。
麻場利華のバイオリンが高音域でギザギザと切り込む。あの鋭く上下する旋律に、私はいつも痺れてしまう。
ベースとピアノが刻む低いリフ。その上にかぶさるバイオリンの音が、理屈を超えて聴衆の心をわしづかみにする。
やはりアストロリコのタンゴは揺るがない。ここまでは、期待どおりだった。
この日のボーカルは、今年高校を卒業したばかりという東亜樹さん。
“令和の歌姫”との呼び声も高く、次回公演のチケットは完売だという。開場前から行列ができていたのも、その人気ゆえだろう。客席を見渡すと、彼女を目当てに来たと思しきおじさまが目立つ。熱気は確かにあった。
第1部では「カミニート」や「夜のタンゴ」を歌った。
若く伸びやかな声。けれども、タンゴが本来まとっている翳りや、胸の奥に沈むような哀愁が、どうしても伝わってこない。うまい。しかし、心が震えない。
タンゴは技巧だけでは足りない。傷や孤独や、どこか退廃の匂いまで背負って初めて、あの深みが生まれるのだと私は思っている。
第2部は日本の楽曲をタンゴにアレンジして披露した。「春よ来い」に始まり、「小雨降る径」など、確かに幅広く歌える人なのだろう。ただ、どの曲も同じ質感に聞こえてしまった。最後の「モンテンルパの夜は更けて」に至っては、なぜこの曲なのか首をかしげたくなった。会場はいつしか懐メロの集いのような雰囲気になり、私が求めていた“タンゴライブ”とは別の方向へ流れていった。

正直に言えば、私はがっかりした。
東さんが悪いと言い切るつもりはない。若い才能が舞台に立ち、支持を集めることは素晴らしい。だが、タンゴを聴きに来た者としては、物足りなさが残ったのである。人気と実力は必ずしも同義ではないし、“歌姫”という称号がタンゴの深みを保証するわけでもない。
アストロリコのタンゴは、アストロリコだけで成立する。
あの切り裂くようなバイオリン、地を這うようなベース。それだけで充分なのだ。
私は改めて、タンゴそのものを聴きたいのだと痛感した。
辛口かもしれない。しかし、タンゴが好きだからこそ、そう思わずにはいられなかったのである。
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