日本語は美しい はず

最近KY語というものがあるとか。
私には全く理解不能な言葉。
橋下大阪府知事が高校を訪問していた時の事。
高校生にとって知事はタレントの感覚だとは思うけれど、親しみと目上への言葉遣いは別物と思いませんか?
とても高校生の言葉遣いとは思えませんでした。
「島田紳助の電話番号を教えてー」という時に橋下知事が「島田紳助さん」と言いなおしていました。「大人には、さんをつけなさい」と。
先日、今話題の「母べえ」を観た時、その言葉遣いの美しさに映画の品格を見た気がしました。
言論の自由がない時代の抑えられた感情を山田監督が人物の言葉と所作の中に丁寧に拾い上げて、引き込まれる美しいシネマでした。
あの時代から60年
言論は自由。
法相までも言いたい放題。
社会人まで仲間内ではKY言葉を使っているかのような報道をされていたけれども、私はそんな事はないと思っています。
ただし、敬語や丁寧語は薄れつつあると心配しています。
コメント
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「母べえ」
父は同じ1940年12月同じ朝方5歳の姉3歳の兄の前で粉雪の降る中を検挙された。最後の吉永小百合の亡くなっていかれる顔が 今病院にいる母の顔とだぶった。
「美しい日本語」
勤めに出る朝はBSでちりとてちんをみる。その後の「都の風」その美しい日本語にほっとする。
もう あのような日本語は過去のものになってしまったのでしょうか。
きれいな写真のコメント欲しいなあ。勝手に空想してみるのもいいけれど・・・
sazankaさん
大変な時代でしたからねえ。
三浦綾子著「銃口」を読んだ時も胸の塞がれる思いがしました。
お母様は100歳にもう少しでしたね。
とても厳しい時代を過ごされましたが、あなたのような娘に恵まれ今は穏やかな日々ですね。
日本語の乱れは大人が注意できない状況があるからでしょうね。
家庭の中では何語が使われているのでしょうか。
日本人同士でも通訳がいるような省略語を話題に取り上げるマスコミにも疑問を感じています。
若者に迎合し過ぎではないかとも。