二度観た「国宝」―小説と映画の交差点で

小説『国宝』を読んだ後、どうしてももう一度映画を観たくなった。以前に鑑賞した際、深く感動したにもかかわらず、原作を読んでからというもの、その奥行きや細部をあらためて確かめたくなったからである。
字が小さくて読みづらいと言う姪に、半ば強引に原作を読んでもらった。そして「映画を見たい」という返事を得ることができた。そこで、まだ映画も本も観ていない家人と姪、そして私の三人で、日曜日の朝にシネマ館へと向かった。
同じ館では『鬼滅の刃 無限城編』も上映中であり、混雑が予想されたため、少し早めに家を出たが、案の定、駐車場はほぼ満車。もう少し遅れていれば、駐車できなかったかもしれない。なんとか車を停めることができて、胸を撫で下ろした。
『国宝』の映画は一か月前に一度観ているが、今日のほうが観客は多かったように思う。リピーターなのか、あるいは原作の人気によるものか。いずれにせよ、この作品への関心の高さをあらためて感じた。
原作を読んでからあらためて映画を観ると、やや物足りなさを覚える場面もあった。小説の中で味わった物語の厚みや細やかな心理描写が、映像では描ききれない部分があるのは致し方ない。しかし、それでも映像ならではの迫力や演者の表情、舞台美術の美しさには心を動かされるものがあった。
驚いたのは、あれほど感動したはずの映画なのに、初回の記憶がところどころ抜け落ちていたことである。特に最終場面については、全くと言っていいほど覚えていなかった。もしかすると、感動のあまり呆然とし、エンドロールが始まる頃には意識がどこかへ飛んでいたのかもしれない。今回はしっかりとそのラストを目に焼き付けた。
思えば、同じ映画を劇場で二度観たのは、生涯初めての経験である。気乗りのしなかった家人を無理に誘ったものの、観終えた後には「良かった」と言っていた。その一言に、誘った甲斐があったと嬉しくなった。
姪は、私の伝え方が大袈裟だったのか、少し期待外れのようだった。多分小説を先に読んだせいであろう。
『国宝』を二度も観に行くことになるなんて、自分でも少し驚いている。そんな小さな感動と、新たな映画の楽しみ方を知った。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。











この記事へのコメントはありません。