映画 ぼけますからよろしくお願いします。

これは、ドキュメンタリー映像作家の信友直子が認知症の母親と懸命に介護する父親の日常を記録した映像である。
コロナ過に20万人を動員したヒット作品で、多くの人が感動し涙を流し、心が浄化した。
「ぼけますからよろしくお願いします」⇒ 

結婚60年を過ぎ、30才と38才の晩婚だった二人は共に90才を超えた。
認知症を発症したのは8才年下の母親が87才の時だった。
娘は東京で仕事をし、両親は広島県呉市で二人暮らしをしている。
父親は戦争で大学に行けなかった事を無念に思い、娘は東京大学を卒業した。
「仕事を辞めて帰省しようか」と言う娘に「介護はわしがするからお前はお前の人生を生きよ」と言って決して弱音を吐かない人だ。
母親は、娘の着るものは全て手作りして愛情を注ぎこんで育てた。
何処にもある平凡で善良な市民の暮らしがあった。

母親が78才の時娘が乳がんの手術をして、その時は母親が上京して娘を支えた。その頃の映像では母親は溌溂として明るかった
母親が87才の時に林檎やバナナを大量に買い込んだ事をきっかけに病院を受診すると「アルツファイマー」と診断されその頃から少しづつふたりの日常が変化し始めた。
「男子厨房に入らず」と育った父親は95才で初めてリンゴの皮をむいた。
全編に流れるのは夫婦の深い絆だ。
娘も知らなかったほどの信頼と愛情で結ばれた両親は、段々出来る事が少なく成る母親に代わって父親は段々出来る事が増えていった。
いつの間にか父親は体が二つに折れるほどに曲がり、日ごろの買い物もしんどい仕事になった。
そんな時も気力を振り絞って母親をかばい続けた。
母親は脳梗塞を起こして在宅介護が難しくなり病院に入院した。
すると、父親の足では片道1時間かかる道を毎日通って励まし続けた。
母親が家に帰った時は「わしがおむつを替える」と言って98才で筋トレを始めた。
母親もそれに応えて自力で歩くようになった矢先、再度の脳梗塞を起こした。
その頃にコロナが蔓延して面会が出来なくなってからも父親は決して諦めずに奮闘する毎日だった。
その後母親の病状は深刻さを増していった。
1回目の緊急宣言が解けた頃二人に見送られて母親は旅立った。
その時に父親は「ありがとうねー。わしもいい女房をもろうたと思うちょります。」と声をかけていた。

この映画は、他人事ではなかった。
私たちの近い将来を見るような気がした。
家族の世話をしてきた母親は何も出来なくなって迷惑をかける存在になった自分を認められずに「死にたい」と荒れることもある。
認知症と共に生きることの大変さ。忍耐強く支える父親の姿。
この映画は今の日本が抱える高齢化問題を正しく表現している。

映画を見終わると、大変な状態になるほど強く結ばれるのが家族としても、中にはそうではない場合もあるだろう。
けれど、この映画を観るとこんな風に生きたいと誰しもが憧れを抱くのではないだろうか。

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