旅に出ようよ|新潟県 燕三条

新潟に行こうと思ったきっかけの一つに、燕三条の玉川堂の茶器を見たいという思いがあった。
実は、姉母の家にずーっと気になる茶筒があった。
何時の頃からかというと、多分私が10代の頃だろうか。
姉母もこの茶筒は大事にしていて上等のお煎茶が入れられていた。
その内、京都の開花堂の茶筒を見る機会が増えて、結婚のお祝いには幾つか買ったけれど、自分用には姉母の銅製が気になって買うことは無かった。
今、茶筒は私の手元にあって、玉川堂のものだと推測した。
それを確かめたいという単純な動機もあった。

茶筒は姉母の物で急須は今回私が買ったもの。

玉川堂は午前10時から1時間おきにお昼を除いて4,5回見学出来チャンスがある。

ビルづくりの社屋ではなくて、町屋風の構えにホッとする。
伝統技術を二百年に渡って継承している老舗企業が控えめな日本家屋のままというのは、世界に実力を認められたゆえの奥ゆかしさだろうか。かっこよすぎる。
看板を見ただけでドキッとするのは私に相当な思い入れがあるからだろう。
何しろ半世紀以上見続けていたのだから。
5分ほど早く着いたので待たせて頂くと、直ぐに美味しいお煎茶が運ばれた。

村上市と同じく暗く狭い店舗は通り土間で奥へと続き、沢山の職人さんが仕事をする工房に繋がっていた。(トップ写真)
時間になると沢山の人が集まって来て、手際よく工程の説明が始まった。
丸く切られた銅板を鎚で叩き起こして銅器を製作する「鎚起銅器」(ついきどうき)の伝統技術と銅に多彩な着色を施す技術は、世界でも玉川堂のみが保有し世界最高品質の銅器を製造している。
製作過程はHPにて➡

木の切り株に鳥口と呼ばれる鉄の棒を入れてそこに銅器を引っ掛けて叩く。銅器のかたち大きさに寄って鳥口は変わるので夥しい数の鳥口が準備されている。
道具も全て玉川堂が独自に作ったものという。
なにもかも人の手に寄って完成された宝物のような銅器は見応えがあった。

それに、この工房の職人さんはびっくりするほど若い。
職人を公募すると20人くらいの応募があるそうで、社長面接の上1人2人が採用される。
私語は全く聞こえずひたすら槌打つ音が聞こえる工房だった。

説明は30分ほどで終わるけれど、説明を聞けば聞くほど自分用に一つ欲しいと思う。
半世紀以上も見続けた茶筒があるので、急須を見せて頂いた。

あれこれと見せて頂いたけれど、一番最初に見た急須が好きだった。

永年の思いを遂げてホッとした頃、お店の方が今年は京都で展示会をしたいと思っていると話をされた。
デパートではなく、ギャラリーで制作の過程をお伝えして、ひとつづつ手渡す展示会が理想なのだそうだ。
ではその時に又と言って手渡されたお名刺には「女将」の文字があった。
こういう方たちが、伝統工芸を飾り物にせず、勿体ぶらず伝えてくれるのはいい企画だと思う。

また京都でお会いする事を約束していいひと時の幕をしめた。

追記
燕三条と三条燕について ➡ 

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