揚子江初日クルージング-2|中国旅行

石宝塞から船に戻ると、夕食の後に訪問する三国志の英雄張飛を祀る張飛廟に向かって船は出航した。
外の景色は相変わらずで、悠々と流れる長江の対岸に見えるのは三峡ダムで沈む家から移住させられた住民の高層マンション群が田舎の風景に不似合いに並んでいた。

ランチの後は、私たちの船に同行してくれる中国の国家級名演奏家によるレセプションが始まった。

琵琶や揚琴、二胡、笛による日本の歌や中国の歌が演奏された。

これは変面で中国四川省を中心とする秘技らしい。
顔のお面を入れ替える早業で、初めて見た私はあっけに取られて口が空いていた。

夕食も済ませていよいよ、張飛廟に出発。
懐中電灯で足元を照らすように注意があったけれど、周囲は電飾されて思いの外明るった。

渡らなかったけれどすぐ傍の橋は見事なデコレーションで何色にも変化して楽しませてくれた。
日本にあったら観光名所になっているだろう。
朝の内から覚悟を迫られていた張飛廟も長い坂道と階段が続いた。
三峡ダムが出来て水位が上がり、建物が高台に移転しているせいだろう。
中国は、国家が方針を決めると反対する事は出来ない国なので広大なプロジェクトが完成しやすいのだとか。
民主主義を唱えたら超大国の発展は随分と遅れていただろうとは実感した。

張飛廟内は本堂、仏堂、結義楼、助風楼、杜鵑亭などからなって、独特な建築群を構成している。建築スタイルが独特であるだけではなく保存されている書画や彫刻も貴重なものが多く、「文絶世、書法絶世,彫刻絶世」といわれている。

独特の屋根の形と装飾の美しさには目を見張る。
移設には莫大な費用が掛かっているらしい。ここでも中国の力を見せられた。

張飛像

三国志の勉強をしていないので、人物像より建物、書画を見る方が楽しかった。
張飛は中々の豪傑らしいけれど大酒飲みで短気だったようだ。
最後は暗殺されたというのも痛ましい。
けれど張飛を慕う人々によって1700年前に張飛廟は建立されている。

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