揚子江クルージング2日目 白帝城|中国旅行
白帝城は、中国重慶市奉節県の長江三峡に位置する地名。
かつて新末後漢初の群雄公孫述がこの地に築いた城が白帝城と呼ばれたことが由来である。永安宮ともいう。
三国時代、蜀の建国者劉備が夷陵の戦いで呉に敗れ、逃れたのが白帝城であった。
劉備は後事を諸葛亮に託し、この城で没した。 (ウィキペディア)
病床の劉備が諸葛孔明に後事を託すというシーン
白帝城はこんもりとした山を背景に持つ小島に建っている。
バスを降りるとまず白帝城に渡るながーーい橋を渡る。
ここも三峡ダム建設に伴い水位が上がったためらしい。
橋を渡り終えると階段が始まる。400段位だろうか。
登れない人には駕籠が用意されている。
この階段は前日は練習と思えばよいと言われていたくらいに、しんどかったけれど、風があったので未だ助かった。
途中に午後から行く三峡を見下ろすベストポジションがあり、狭い場所を取り合って撮影合戦があった。(自撮り棒使用者が多い)
一番図々しい国民性は中国だろうと大方の見方だったが、世界中を旅する添乗員さんによると欧米人も引けを取らないとか。
遠慮してしまうのは大抵日本人なのだそうだ。
午後の三峡クルーズでその言葉を実感する事になった。
劉備の像
白帝城の中は他にも関羽や張飛、諸葛孔明の像などの展示が多かった。
見どころがそれほど多いわけではないので横たわる劉備の像の前には人だかりが出来る。
その向かいに建つ塔
こういう屋根の塔が私には魅力的に思えた。
白帝城の入口には白帝城を詠んだ詩が沢山架けられていて、これは李白の「早発白帝城}の詩と言われている。
現地ガイドの田さんが流ちょうに読んでくれた。
中国語で詠まれると聞き惚れるほど流れのある詩だった。
朝辞白帝彩雲間
千里江陵一日還
両岸猿声啼不住
軽舟已過万重山
帰りは、長い下り坂、それが終われば長い橋、それからバスに戻るとぐったりだ。
気温は多分35℃は超えていただろうか。
午後に行った、三峡も崖が迫るまで逃げ場のない暑さだった。
その時に「昨日は43℃あったそうですよ、今日は5℃は涼しくて助かります」という添乗員さんの言葉が聞こえて来た。
聞いただけで、頭がくらくらした。
今回の旅行中は、私の最も苦手とする高温多湿と階段が付いて回った。
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