JR 尼崎事故

JRの事故後の対応のニュースを聞いて耳を疑った。
「普通の感覚ではあり得ない!!」国鉄時代のお上感覚といわれても仕方がない。
事故車から立ち去る精神構造は「何ごともなかった」と自分に言い聞かせ「自分の電車をダイヤ通りに運転する事」を優先すると教え込まれた人の行為でしょう。
同じ電車で明暗を分け「自分は生きていてよかったのか?あの地獄をどうして忘れたらいいのか」と悩んでいる人がいると聞きました。
私は、法事のためとはいえ、九州で観光をしてきました。その時も時々後ろめたく感じる瞬間に悩まされました。
天王寺車掌区では、その時間に「親ぼくボーリング大会」をして、2次会、3次会が行われたそうな。
次々と理解不能な事が暴露されてくる。
社長が何度頭を下げても、国民の怒りは治まらない。
いくら嫌でも電車に乗らなければ普通の生活は成り立たちません。ゴールデンウイーク中で大勢の人が心配しながらも予定通りに電車に乗りました。
だから口先の安全運転なんか聞きたくありません。
怒りの鉾先の持っていきようがないのは私も同じですが、この頃のJR の記者会見では記者の質問が少し感情的に聞こえてきます。
全く関係のない詩ですが、吉野弘さんの詩に「正しい事をいう時は、少し小さい声で言う方がいい」といういっ節があります。私もついつい声が大きくなります。それで記憶しているのです。正しい事は小さな声でも堪えます。

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