やくざ×歌舞伎×愛──『国宝』が凄すぎた話

映画で心をつかまれ、原作で魂を持っていかれた──やくざと歌舞伎、二つの異世界が交差する小説『国宝』は、愛と芸に生きた男たちと、それを支える母と妻たちの物語だった。
映画『国宝』を観賞し、その余韻冷めやらぬうちに原作を手に取った。読了した今、映画の素晴らしさに加え、小説という形だからこそ味わえる濃密な感情の波に、改めて胸を打たれた。
物語の舞台は、やくざと歌舞伎という、一見対極にあるようで実は日本文化の深層を成す二つの世界である。いずれも私にとっては遠い存在でありながら、心の奥にどこか惹かれるものがあった。登場人物たちの人生を辿るうちに、その世界の奥行きと人間模様に強く魅せられていった。
本作の主人公・喜久雄は、幼き日に悲劇に見舞われながらも、歌舞伎役者として類まれなる才能を開花させ、日本にただ一人しかなれぬ称号「国宝」へと昇り詰める。彼の波乱に満ちた生涯に、読者である私は伴奏者のような心持ちで寄り添い続けた。800ページにも及ぶ大作であるが、途中でページを閉じることが惜しく、寝食を忘れるほど没頭して読了した。
特筆すべきは、物語を支える女性たちの存在である。喜久雄の母は、やくざの妻として、しかしその枠を超えた強さと慈しみをもって彼を歌舞伎の世界に押し上げた。一方、喜久雄の盟友・俊介の母は、名門歌舞伎役者の妻として、芸に生きる息子を陰ながら支える。いずれの母も、表舞台には立たぬが、その献身と覚悟は子らの才能の根底をなすものであり、読み手の心を激しく揺さぶる。彼女たちの愛は、ひとつの「国宝」が生まれる土壌となった。
また、物語に随所に散りばめられた歌舞伎演目の解説は、作品の理解を一層深めてくれた。これまで曖昧に捉えていた場面や台詞の意味が繋がり、「ああ、そうだったのか」と腑に落ちる瞬間が幾度も訪れた。これにより、歌舞伎という芸能への関心が高まり、次に舞台を観るときには今以上に深く楽しめる予感がしている。
改めて、映画『国宝』も再鑑賞したくなった。小説を経て得た知見と感情をもって再びスクリーンに向かえば、そこには初見とは異なる新たな風景が広がっているに違いない。
『国宝』は、単なる芸能小説でも、成り上がりの物語でもない。人が芸に生きるということの厳しさ、美しさ、そして哀しさを描いた一大叙事詩である。
解説の最後に書かれた文章をご紹介しておきたい。
“清濁あわせて飲んで流れていく大河のようなこの小説に身をを浸す時、私達もまた大きな時の流れを生きていることをあらためて思う。人は失い続ける。それでもこの体の奥で美しい音楽が鳴っていて、儚い夢幻に繰り返し手をのばさずにはいられないだろう。”
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