隅切りという小さな公共空間について

立場が変われば、ものの見え方や考え方はまるで違ってくるものである。
私は車を運転しているときに、そのことをしばしば実感する。

住宅街の道路はブロック状に整備され、角には四軒の家が建つ。
その角には「隅切り」と呼ばれるスペースが設けられており、見通しを確保し、事故を防ぐためのものである。
しかし実際には、その隅切りに車を停めている光景をよく目にする。
おそらく、「少しの間なら構わないだろう」と思っているのだろう。だが、運転する者の立場からすれば、あのわずかなスペースがどれほど大切かは痛感しているはずである。

ある日、私の家の前の隅切りに介護の車が停められていた。
その位置では、私の車をガレージに入れることができない。
そこで「もう少し前に進めてください」とお願いしたところ、「玄関から出てくるのでここに停めないとならない」との返答であった。
「では、1メートルだけ下がってもらえませんか」と言うと、「介護の車なのに」と言いながらも、しぶしぶ動かしてくれた。

もちろん、介護の現場には切迫した事情がある。
限られた時間の中で高齢者の乗り降りを支援しなければならないことも理解できる。
しかし、隅切りを塞げば他の車が通れなくなる。
たった1メートル動かすだけで、他人の迷惑を防ぐことができる。
わずか二歩余分に歩くだけで済む話である。介護の車であっても、道路のルールを免れることはない。

別の日には、介護の車が道路の中央に停まっていた。
乗降を終えるまで待っていたが、運転手は私に一瞥もくれず、会釈もなくそのまま発車していった。
そのときも、なんとも言えぬ違和感を覚えたものである。

介護の車に限らず、社会の中には「特別だから」という意識が先行し、他者の立場への配慮が後回しになる場面がある。
しかし、道路は誰かのものではなく、公共の空間である。
ほんの少しの思いやりと注意で、街の風景も人の気持ちも穏やかになるはずだ。

多くの自治体では、隅切り部分を「道路の一部」とみなしている。
したがって、道路交通法の適用を受け、駐車は認められない。
単に「ルールだから守る」ということではなく、その背後にある意味を理解することが大切である。

立場が変われば、見え方も変わる。
だが、ほんの少し他者の立場を想像するだけで、互いに気持ちよく過ごせる社会に近づくのではないだろうか。

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