ノートレとカーブスと私

面倒な家事というものは、朝一番に片づけないと、気にはなっていても一日中頭の片すみに居座る厄介な相手である。
「やらなきゃ」と思いながら、気づけば夕方──そんな日が少なくない。
私の「朝一番」は9時半過ぎ、カーブスに出掛けるまでのわずかな時間。
この時間こそが、家事のゴールデンタイム、のはずなのだが、現実はそう簡単ではない。
カーブスを休むと、一日の時間が二倍になったように感じるほど家事が進む。
だから「カーブスに行くか」「家事を済ませるか」は、毎朝少し悩むところである。
とはいえ、カーブスは私にとって唯一の運動の場であり、リハビリを卒業した今では、そこがそのままリハビリの延長線にもなっている。
だから、できれば休みたくはない。
もっとも、日曜日カーブスが休みの日は、朝からなんとなく浮き立った気分になる。
「じゃあ休めばいいじゃないか」と思うかもしれないが、それがなかなかできない。
なにしろ、私は根っからの運動嫌いである。
一度休むと、ずるずると休み癖がつくことが分かっているからだ。
あー言えばこう、こう言えばあー。
こういうことに関しては、私は意外と優柔不断である。
それに、もう一つ理由がある。
カーブスの仲間が、実に面白いのである。
毎朝、玄関が開く前の15分ほど、仲間内でちょっとしたミーティングがある。
話題は、料理のこと、野球の話、政治の話と、多岐にわたる。年齢層もばらばらで、それがまた面白い。
不思議なことに、家族の話はほとんど出ない。
その場限りの、風のように過ぎる話が心地よい。
私はその時間を、「カーブス前の能トレ」と呼んでいる。
この仲間たちの存在が、私を家から引っ張り出す力になっている。
だから、一人で黙々とやる掃除は後回しにしても、「能トレ」から始まるカーブスは休めないのである。
好きでもない運動のために通っているカーブスだが、気がつけば、生活の中にしっかりと根を下ろしている。
そんな存在になっているのだ。
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