社会の格差パート2

日曜日にNHKで放送された「社会の格差」について考える日が続いている。
仙台市で商店街にトラックを乗り入れて死者を出した人は38才だという。
社会を支える世代のひとである。今日のニュースによると「その日暮しに嫌気がさした」それで死にたくなったのだという。本人は生き残ったが無関係な人とその家族を巻き込んでしまった。
この背景には社会的格差があったのか、差別があったのか。
日本が高度成長する前は「明日は明日の風が吹く」「無責任おとこ」等の言葉が流行っていました。最近は「自己責任」です。
「皆で渡れば恐くない」から、「自己責任」「自己管理」でニューリッチがうまれました。収入面だけの格差をいうならば、格差社会です。
お金の事を話すのは品がないように言われた時期がありました。
お金に仕事をさせる人が一段と低く差別されていた。士農工商の名残りでしょうか。
「証券マン」が「株や」と称されていたように。実業界の組織では格差があったのでしょう。まだ残っていると思いますが。
ニューリッチはハイリスクを背負える人という条件付きだから、誰もが目指せるものではありません。
パンがなければパンの為に働くことは、できます。
仙台市の事件も以前はトラックの運転手をされていたとか。どのようないきさつで仕事を辞めたのか知りませんが、普通に働き身の丈に合わせて暮らせば、他人を巻き込む悲惨な事件はさけられたはずです
NHKでは日本社会がうみ出した格差のために普通に暮らしにくくなったと言う意見が目立っていた。
最前列に座るホリエモンは「自己責任」で夢は叶えるものと言っていたが、
規制緩和で仕事がないと言う人もいた。同じ業界で規制緩和を利用して起業したひともいる。新しい時代の波を怖がっては変化に対応出来なくなるのは当然ではないでしょうか。
世界中には戦場にうまれる子供も飢餓の国にうまれる子供もいます。
それを思う時、恵まれ過ぎた国に暮らすものの「脆弱さ」を感じてしまいます。
未だ頭の中が整理されていませんので書き足りてないと思いますが、夕食の支度中もフッと頭をよぎる「日本の格差」です。

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コメント

    • じゅん
    • 2005年 4月 06日

    NHKの「社会の格差」みました。
    ホリエモンたち、勝ち組は自己努力とその成果を得て当然!という立場でしょうか。確かにそのとおりだと思う。でも努力することできることも、人それぞれの才能の一部だと思う。上手く努力できなかったり、目の向けどころがわからない人は数知れず・・・。
    ホントは人間は大部分がそんな弱い人たちかなって思う。
    日本社会は、甘えの社会だったのかな。
    それはそれで、人のつながり、温かみ、支えあい。必要だと思う・・・。
    ごめんなさい、なんだかとりとめもないコメントでした・
    考えが上手く文章にできなくって・・・。
    お庭の写真もとても楽しく見せてもらいました。
    ムスカリもうちのプランターのとはぜんぜん違う・・・。
    3年くらいで掘り返さなくてはいけませんよね、やっぱり。
    また覗きに来ます。

    • 匿名
    • 2005年 4月 06日

    じゅんさん コメントありがとうございます。
    おっしゃる通り、人間は生まれながらに違いはありますよね。仕方のない事です。
    でもね、基本的には自分の足で立たなきゃ仕方がないのですよ。他人の肩を借りてもいいですよ。自分の足で歩くために..
    他力本願が私は嫌いなの。どこかに自分の意思が入っている事を一番大事にしています。
    ムスカリは10年くらい植えっぱなしです。冬に油かすと、鶏糞を土に入れただけです。植物はかけた手数だけ楽しませてくれます。
    私の「癒しの庭」と「はけ口」のブログを又、覗きに来て下さい。

  1. はじめまして。
    ボクも「日本の、これから」前後からいろいろ考える日々が続いています。
    TBさせていただきました。
    失礼しました。

    • skog
    • 2005年 4月 08日

    hoddyさん。コメントありがとうございます。
    社会格差は独りで両方の立場を論じられますね。ゆっくり続けて考える人が増えるといいですね。

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