北京オリンピックと長崎被爆の日

オリンピックに限らず、スポーツの祭典は、初まるまで私は盛り上がれない。
初まるや否や応援に力が入り、日を追うごとに熱くなる。
北京オリンピックには町内会から体操の中瀬卓也さんが行っているのでより熱がはいる。
先ほど床で高得点を出した。
昨夜は偉大な中国の開会式を見て、スケールに圧倒された。
そこが北京である事が信じられない。
私が北京に行ったのは1990年、天安門事件の翌年。
広場の柱には銃痕があった。
広場にはひとり分づつの升目がきられていて、数千人が集まれるようになっていた。
ヨーロッパの町には広場が多いが、そこは升目ではなく石畳だ。
昨日の完璧なマスゲームを見ていると、天安門の升目を思い出した。
でも、ちょっと開会式長かったですねえ。
見ているだけで疲れました。
東京オリンピックを見ていない世代が私の周りに多くなってきた。
そして今日は長崎原爆投下の日
知らない人は東京オリンピックよりもっと多い。
先日、NHKの放送で投下直後の長崎の町を撮影したアメリカ兵の話が紹介された。
私は1枚の写真が頭から離れない。
小学生らしい子供が、亡くなった弟を背負い弟を焼く順番を待っている姿だった。
人形のように仰け反る弟を背中にしっかりと背負い、焼き場になった浦上川にたたずむ姿、くちびるをかみ締め血が滲んでいたと撮影者は語っていた。
小学4年生の時に広島原爆記念館に行った。
あの時のショックも大きい、今でもそこには入れないでいる。
原爆投下が風化されつつある今、平和の祭典を見るに付け真の平和を願って止まない。

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