プラハの春から

1968年8月、暑い日だった。
うたた寝をしていると「国境を越えてソ連率いるワルシャワ条約機構軍がチェコに侵入しました」という放送が聞こえてきた。
テレビだったのかラジオだったのか定かではないけれど、アナウンサーの緊張した声から、大変な事が起きているとボォーとした頭に記憶した。
そもそも、国境を越えて侵入というアナウンスは日本しか知らない私に不思議な感覚を残した。
2002年チェコに行く機会が出来た。
千の塔の街といわれるプラハは美しい。
中でも、世界で一番美しい風景のひとつといわれるチェスキークルムロフの美しさは今でも忘れがたい。
細い坂道のお土産やさんでボヘミヤングラスの小瓶を1つ買って大事に持ち帰った。
それを見るとチェスキークルムロフの風景とプラハの春の言葉が一瞬に浮かんで来る。
軍事介入によって連邦制が導入され、それによってチェコとスロバキアは亀裂を生み1993年連邦制の解体で国は二分されている。
ただ事ならぬ報道を聞いた日から37年が流れていた。

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