被爆は語れない

フィヨルド

ディスカバリ-が無事に帰還した。
帰還が危ぶまれたが「明日にでも宇宙に戻りたい」というコメントを出した「野口聡一さん」はさすがである。ハラハラドキドキは私達で、宇宙に行こうかという人は超越した精神構造があるようだ。今後しばらく、打ち上げの予定はないという。宇宙の旅は人類のロマンへの旅でもあるが。

広島、長崎の原爆投下の日から60年が過ぎた。
戦後生まれの団塊の世代も、戦争は知らない。
私は小学生の頃に何の知識もなく、広島原爆ドームに連れて行かれた。
もう戦後ではないといわれた、昭和30年くらいの時である。
ただただ、恐ろしく、何がそこにあるのかまともには見ていない。
それでも、戦争によるもの、原子爆弾が落ちた町である事は理解出来ていた。
広島原爆ドームは長い間、そして今も恐怖のシンボルである。
長崎の、原爆資料館はまだ、入れない。
人が人を殺す恐ろしさは、広島原爆資料館を見てから脳裏に焼き付きついている。
現実を見て下さい、知って下さいと言われるが、子供の時の恐怖感が先立ち、それ以上の資料はとても正視できてない。
8月になり、原爆の特集番組がはじまると、つい目をそらす。
知人に被爆者手帳を持っている方もいらっしゃいますが、未だ、原爆の話はしない。
私の姉母は戦争当時10代後半で、家中で一番元気があったらしい。
彼女に戦争の話を聞くと、いつもの「頓珍漢」は陰をひそめ、当時の年令になって話してくれる。そして、不思議に彼女は元気になる。
どうして戦争の話は元気になるのかと聞いてみた。
「明日がない緊張感があった」という。
長崎や広島の恐怖を知らずに終戦になった。まだ幸せな土地にいた。
「明日はないから、今日の内に白いご飯を食べようよ」と提案して少しも恐いと思わなかったらしい。戦争体験者でなければ分からない、心境であろう。
昨今は一人で大型テレビをみながら、政治の話を芸能番組のように独り言の間の手を入れながら見ている。
頓珍漢でも、しらけてはいない世代である。

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