「面倒なこと」と「苦手なこと」が作る私の人生
「面倒なこと」と「苦手なこと」は似ているようで異なるものである。 面倒なことは手間がかかっても、楽しめることがあるけれど、苦手なことは、どれだけ時間をかけても、力が及ばず、手も足も出ないことが多い
私にとって、面倒なことの代表は家事である。家事の中には苦手なものもいくつかある。
面倒でも好きなことは疲れを知らずに先に進めてしまうが、家事のように面倒でありながらも避けられないことは、自分の一部として向き合っていくしかない。
最近では、時々「家事休暇」が取れるようになった。 少し家事から離れて過ごすと、また家事をしたくなる「天邪鬼の法則」が私の内面に根付いている。
小さな家事、名もなき家事の積み重ねが今の私の生活のほとんど。
時に「つまらない」と思う日もある。
けれど、上手く回せた日の満足感、苦労して挑戦したときの成長感、それらが私の生活の支えになって来た。
この頃、ふっと思う、この積み重ねの堆積が私を作っているのではなかろうかと。
波をかぶればその場で流されていく堆積だ。
目に見える大きな成果や誰かに評価されるような「残るもの」は何も作れなかった。
でも、私の中には確かに、日々の積み重ねから得た豊かさや達成感が積もっていてそれこそが、私がこれまでなんとかできた人生の証であり、それがある限り、これからも、面倒なことも苦手なことも、自分らしく乗り越えて行けるだろう。
秋になると、いつの間にか何でもない心につまずき、人生を嘆きたくなるものだ。
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