ゆっくり、走らないで──変わる暮らしと支え合う日々

今年の二月までは、毎朝五時に起きて、分刻みのルーティーンをこなしていた。しかし、今ではその生活は様変わりした。夜は以前より早く、十一時前には眠気が訪れる。就寝前に本を手に取っても、せいぜい二、三ページを読むのがやっとである。そして朝は、少しゆっくりと六時に起床するようになった。
思えば、以前の生活は張りつめた糸のようであった。毎朝の時間は十五分刻みで区切られ、トイレ、玄関、階段の掃除を日課としていた。清掃をすることで気持ちがすっきりすると信じていたが、実際には身体にじわじわと負担が蓄積していたのかもしれない。
「〜ねばならない」という思考は、自分では手放したつもりでいた。しかし、今振り返ると、その性格はなおも自分の中に根を張っていたように思う。全てのねじを緩め、ゆっくりと、時にトロトロと動いても、日常生活に何の支障もないということを、身をもって知った。どうしてあれほど毎日に執着していたのか、今となっては不思議である。
生活が一変したきっかけは、強制終了ボタンが押されたかのように、坐骨神経痛により日々の動きが制限されたことである。だがその後、周囲の人々に支えられながら生活するようになり、優しい言葉に励まされる毎日を送っている。
「ゆっくりね、走らないでよ。」
毎朝かけてくれるその一言が、心に沁みる。カーブスに通う仲間たちは、何気ない会話の中にも気遣いをにじませてくれる。以前は習慣で通っていた場所だったが、今では「待っていてくれる仲間たちがいる場所」として、自分にとってかけがえのない存在となっている。励ましの言葉が、時に焦りを生むこともあると考え、皆で「急がせない空気」を作ってくれていたことを知った時、その思いやりに胸が熱くなった。
一朝一夕に築けるものではない、こうした人の繋がりを、これからも大切に育てていきたいと感じている。そして、今後は誰かの杖となれるような存在になりたいと願っている。
生活習慣は大きく変わった。だが、その変化の中で見えてきた「助け合いの温かさ」は、これからの自分の歩みに確かな力を与えてくれる。
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