希望は友の声に宿る

                                   三井寺のライトアップ
膝の痛みによって、私は日常生活が一変してしまった。
ほんの数段の階段が壁のように感じられ、椅子に座って過ごすばかりの毎日が続いている。誰にも迷惑をかけたくないという気持ちとは裏腹に、誰かの助けを必要とする現実がある。そのギャップに心が未だ追いついていかない。

そんな一昨日、玄関のチャイムが鳴った。音の主は、友人たちだった。仕事や家事で忙しい中、時間を作ってわざわざ私の元に来てくれたのだ。

「近くに来たからちょっと、顔だけでもと思って」とか「取れたてのいちごが手に入ったから」とかそう言いながら入ってきた友人の顔を見た瞬間、一瞬、日常の我が家に戻ったかのようだった。
リビングでお茶を飲みながら、一人の友人は自然な流れで自分の経験を話してくれた。
彼女は、かつて膝の手術の経験がある。術後のリハビリには3週間もかかったそうだが、それでも早い回復だったという。
彼女の話には、ただの慰めではなく“通ってきた人にしか語れない確かな重み”があった。

もう一人の友人は、「完璧に元通りじゃなくてもいいの。少しでも“自分らしく”動けるようになることが、大事なんだって分かったよ」その言葉に、私も励まされた。
彼女たちの語る過去の痛みと、それを越えてきた今の笑顔。それが私の心に希望という種をまいてくれた。
私はまだ治療の入り口に立ったばかりだ。しかし、諦めず、焦らず、少しずつでも前に進もうという気持ちが芽生えている。

膝の痛みは、私から多くのものを奪った。しかし、今は、友人たちの温かな言葉と時間が、私にとって何よりの“薬”になっている。
人の言葉には、心を支える力がある。
そして希望とは、こうして誰かから誰かへと渡されていくものなのだと今、実感している。

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