障害者用駐車スペースのありがたさと、願う心

近年、障害者用駐車スペースは多くの公共施設や商業施設に整備されており、その存在が当たり前のようになってきた。これまでは「こういうスペースもあるのだな」と横目に見ていたが、実際に身体の自由が利かなくなると、このスペースのありがたさを身をもって実感することが多くなった。

しかし、その一方で、心ない使われ方を目にする場面も少なくない。ある日、一般の主婦と見受けられる方が、障害者用スペースに車を停め、振り返ることなくスタスタと店内へ入っていった光景に出くわした。また、別の日には、搬入用のトラックが横付けされていた。これらの行為を見るたびに、複雑な気持ちにさせられる。

障害者用駐車スペースは、見た目には「空いているスペース」としか映らないかもしれない。しかし、歩くことが困難な者にとっては、まさに必要不可欠な“生活の支え”なのである。スペースが近くにあることで、わずかな距離でも移動が楽になる。そうした配慮は、外出する勇気にもつながる。

歩道の段差一つとっても、健常な頃には気にも留めなかったものが、今では大きな障害となる。実際に経験して初めて分かることの、なんと多いことか。

障害者用駐車スペースは「空いていれば使ってもよい」スペースではない。そこは決して無駄な空間ではなく、必要としている人のために確保された“優しさの象徴”である。その大切さを、もっと多くの人に理解してほしい。そして、そこにある優しさを感じ取れるような、心豊かな社会であってほしいと願ってやまない。

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