六十周年のオルゴール

姉の遺品の整理をしている。
その中に、「台北高等学校六十周年記念」と銘板の入った小さなオルゴールがあった。
中は宝石箱になっており、姉が指輪を入れていたのを覚えている。

調べてみると、『台北高等学校とは、1922年から1945年まで日本統治下の台湾に存在した官立旧制高等学校で、外地で初の高等学校でした
尋常科と高等科(文科・理科)からなる7年制で、エリート層を養成する機関として、日本国内の大学への進学者を多数輩出し、卒業生は日台の様々な分野で活躍しました。』(AI による概要)
六十周年は1982年(昭和57年)であるから、このオルゴールは今からおよそ43年前のものである。
義兄は20年以上前に亡くなっているので、彼の手元にあったのはせいぜい20年ほどであろう。
姉の夫──私にとって義兄──は台湾の生まれだったと聞いている。
その後、京都大学に進み、実家は別府であった。
私とは親子ほどの年齢差があったので、兄というよりは、優しいおじさんのような存在であった。
六十周年記念のオルゴールは私にとって特別な思い入れがあるわけではないが、あっさりと捨てる気にはなれず、手元に置いたままになっている。
もう一つ、義兄の遺したものに「極楽鳥の剥製」がある。
義兄は国からカンボジアの港湾事業に派遣され、長く駐在していた。
その時に持ち帰ったものである。
いくつかの博物館に問い合わせてみたが、来歴が不明なため受け取れないと断られ、結局、処分せざるを得なかった。
美しい鳥であったが、時の流れの中に還した。
また、義兄は民族人形を集めるのが趣味であった。

どれも一本の木から彫り出された珍しいもので、大きなショーケースの中に飾っていた。
しかし我が家にはそのケースを置く場所がなく、やむなく家の中のあちこちに分けて置いていた。
おそらく百年近く前のアンティークであろう。
幸い、姪が新居に引き取ることになったので、少し肩の荷が下りた。
姉は何の準備もないまま逝ってしまった。
五年祭を済ませた今もなお、姉の遺したものが私を悩ませている。
思えば、姉を私のもとに引き取ったのは、姉が八十歳のときであった。
そして今、私はその年齢に追いついた。
毎日、目に入るものを一つひとつ「要る」「要らない」とジャッジしながら暮らしている。
捨てるということは、ただ物を減らすことではない。
そこに宿る時間と記憶を見つめ直す行為でもあるのだと、今さらながら感じている。
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