神様の広い心に救われる

「案ずるより産むが易し」と言うものの、神様は別格。
絶対作法に乗っ取らねばならないし、私を窮屈に縛るだろうと思うけれど、思うだけでは解決しない。
意を決して日吉大社に相談に伺った。

拍子抜けとはこのことか、30分も話をしない内に私の眠れないほどの心配事は杞憂となった。
神道は明治以降に神仏分離令により分離した宗教であるから、神社によって考え方も違うけれど、信仰の対象は山でも、樹でも写真でもよいと言って霊璽の事を心配することは無いと話してくれた。
飾る花は、榊にこだわらず、器は素焼きにこだわらずと、いう事は今私が祭っていることでいいと、いうお墨付き頂いたようなものだった。
姉母の50日祭と義兄の20年際の日にちを決めて、心から安堵した。
霊璽はどうするか。
姉夫婦は姉の1年際が終わると九州にある奥津城に納骨し、霊璽は本家の祖霊舎にお祭りしてくれることになっている。
永久に我が家でお祭りするわけではないし、写真を霊璽の代わりにしましたと言って本家に持っていく訳にもいかない。
それを斟酌して、義兄と姉母の霊璽も日吉大社に依頼した。

その日以来、憑き物が落ちたかのように心が軽くなった。
心配事は自分で作りだしていることなのに、自分で作りだしただけに考え方はぐるぐると回った。
霊璽がないばかりに、姉はあの世で家がなく途方に暮れているのではないかと本気で気にかかった。
自分が心から満足する送り方が出来ているのかと問う日々が続いた。
日吉大社の神主さんは心広く、全てを救いあげて私を解放してくれた。

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