宗教を知らない私の悩み

私に関していえば、宗教観の無さにほとほと困惑する。
結婚式は近場にあった神社で挙げ、教会結婚式の仲人を頼まれれば俄クリスチャンになって讃美歌を歌う。初詣は神社、お宮参りも神社、クリスマスは大いに楽しむ。
けれど葬儀だけはお寺さんでするものと思い込んでいた。
迷いに迷ったけれど、姉母は実家の浄土真宗で送った。
けれど、正式には姉母の婚家は神道なので戒名は頂かなかった。

昨夜、浅田次郎の本を読んでいたら浅田氏は祖父母、両親、義母を別々の宗派で葬儀を行ったと書いていた。
それぞれに事情があって、その時に一番近くにあったお寺さんにお願いした結果だと書いていた。
日本人の宗教観は浅田次郎と言えどもそんなものなのかと安堵した。
けれど、神道を仏式で行うのはどんなもんだろうかと、昨夜は悩んで眠れなかった。
家人は全ては「生きている人優先」でいいという。
私がやりやすいようにすればいいのだからという事である。
毎朝一番のお茶とお線香をあげてくれるのも家人である。
けれど、神道はその儀式でいいのか、お花ではなくて榊なのではないかと、うじうじ考えるのは私である。

来月に入ると、50日祭の準備で近くの日吉大社に相談に行かなければならない。
それがやけに気が重いのである。
神道はお位牌ではなくて霊璽を作らなければならないからだ。
いや、霊璽だけならまだいい、「神道では、神は神聖な存在であるため、直接見えるところには置きません。基本的に霊璽は「祖霊舎」に安置することが多く、「鞘」と呼ばれる蓋も被せています。」
この解説についていけないのだ。

我が家は仏壇とお墓を持つつもりはないので昨年東福寺の塔頭に樹木葬するべく手配をした。
その家で姉の「祖霊舎」を祭ることは考えられない。
どうしたものかと考えると、夢は見るし眠れなくなる。
あーどうしたものか。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

skogBLOG内の記事検索

カテゴリー

過去の記事

生活・文化の情報収集

ブログランキングで生活・文化関連の情報を収集できます!
ページ上部へ戻る