七十年ぶりの手毬寿司

海辺の町で育った子供の頃、母の作る手毬寿司が私の唯一の楽しみであった。その味が思いがけず姪の手で甦った。
子供の頃に暮らした町は海が近く、毎日新鮮な魚が食卓に上がっていた。私は魚が苦手であったが、唯一楽しみにしていたのが、母の手による鯵の手毬寿司であった。寿司屋に出かけることはなかったので、母の手毬寿司と、焼いた鯵の身をほぐして混ぜ込んだばら寿司こそが、私の寿司の原点である。思い返しても、寿司屋に初めて足を運んだのがいつであったか記憶にないほど、母の寿司は格別であった。
その思い出の手毬寿司を、このたび姪が作ってくれた。小松の魚屋で刺身用の鯵を見つけ、三枚に下ろしてもらい、数日酢に漬けていたという。今朝、「手毬寿司を作ろうか」と彼女が言ったとき、私は思わず声を裏返して「大葉を敷いた、あの手毬寿司?」と尋ねた。すると彼女はあっさりと「そうよ」と答えた。
そして出来上がったのは、紛れもなく母の手毬寿司であった。姪の母、すなわち私の長姉から教わったわけではなく、祖母から伝授されたわけでもない。彼女は自己流で作ったという。それでも見事に母の味を思い起こさせたのは、さすが魚屋の女将であったと感心せざるを得なかった。
ただ一つ母と違っていたのは、酢飯の上にとろろ昆布を薄く敷く所である。その上に大葉を置き、さらに鯵をのせてラップで軽く握った寿司である。食べるときには山葵醤油よりも梅干しの方がよく合った。
家庭の手毬寿司を口にしたのは、おそらく70年ぶりであろう。成長してからは世の中に美味が溢れ、母の手毬寿司を思い出すこともなくなっていた。しかし姪と暮らすようになって、田舎で食べた懐かしい料理がたびたび食卓にのぼるようになった。今夜は手毬寿司に加え、芋茎のお澄ましであった。

子供の頃の好物を姪が再現してくれたことが、うれしく、そして何より美味しかった。
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