姉の五年祭と、別府に刻まれた記憶

姉母の五年祭は、大分県別府市の浅見神社にて執り行われた。
この五年間で、別府には三度ほど足を運んだことになる。九州を離れてからは、なじみの薄い土地であったが、これほど訪れることになろうとは思わなかった。
慣れぬ道で駐車場に手間取り少し遅れてしまったが、神主は白装束でわざわざ神社の入り口まで迎えてくださった。
本来は別府の本家が催行する予定の祭事であったが、当主の急な発熱により、我々三人のみでの参列となった。心もとない状況であったが、神主の典儀により、厳かな雰囲気の中、祭事は滞りなく進められた。
祝詞は思いがけず美しく、神殿に朗々と響き渡った。姉もきっと気に入ったことだろう。
その後、神社近くの墓所に立ち寄り手を合わせた。別府湾越しに高崎山が見えるこの地は、私と姪の大好きな場所である。
せっかくの機会なので、別府の伝統である竹細工にも触れたくなり、「別府市竹細工伝統産業会館」を訪ねた。
館内には、先人たちの緻密な手仕事による竹製品が並び、どれも息を呑むような見事な作品ばかりである。ほとんどが撮影禁止であったため、その様子はFacebookでご覧下さい。
子どもの頃には生活の中に当たり前にあった竹細工も、今や高価な工芸品となり、簡単には手が出せない存在である。かつて我が家にもあった籃胎漆器の幾つかを、先日断捨離したことを少し悔やんだ。展示品で確認すると価格は、思わずのけぞったほどである。
帰り道、いつものように流川通りの「塩月堂」へ立ち寄る。幼い頃、父の会社が通りの向かいにあり、父とともに訪れては柚子万頭をおやつにしていた。変わらぬ味は今もなお、私の心に残る大切な記憶である。
日田から別府への道のりでは、懐かしい山々が次々と現れ、湯布院が近づくと由布岳の雄姿が迎えてくれた。
別府の町に入れば、湯けむりが立ち上り、旅情を誘う。
姉が東京を離れ、故郷へ戻った理由が、ようやく少しだけ分かった気がした。
別府湾と湯けむり――ふるさとは、やはり温かかった。
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