「なかよし別居のすすめ」:夫婦関係を再考する一提案
松場登美さんは、島根県大田市大森町で「くらす」ことに重きを置いたライフスタイルショップ「群言堂」を立ち上げ、その一方で古民家の再生にも取り組んできた人物である。彼女の思いが込められた「福吹く暮らし」と「なかよし別居のすすめ」という2冊の本を図書館で借りて読んだが、そのうち「なかよし別居のすすめ」は、多くの女性にとって興味深い提案であろう。
私自身はskogを経営した10年間、距離にして20km、車で30分以内に別居した。
その間に現れた夫婦の感情の変化は登美さんがこの本に著した数々のエピソードによく似ている。
家人の40年近いサラリーマン生活は家人中心の暮らしだった。転勤先には当然のように同行した。
そして、転勤先を中心に毎週近くに出歩くと言うライフスタイルはそんな中で出来上がったものである。
当時、滋賀県に一戸建ての家があったので、転勤先には必要なものだけを持って気軽に動いた。
半径500-600kmの転勤先には、車利用で動くので少々の荷物は苦にならず、今流行りの言葉で言えば「暮らすように旅をする」スタイルであった。
転勤先はマンションだったので家で過ごすことは殆ど無かった。
方々に出かけて、地方にある工芸に触れる機会が増えた。
skogの始まりはそんな旅がきっかけだったように思う。
家人の現役時代は週末以外は仕事に没頭していたので家に居る時間は数時間だった。
ところが定年後、家人が家に居ると言う家族にとって慣れない生活はかなり窮屈なものになった。
skogをオープンさせてからは家人は住民票と共に比良の暮らしをはじめ、私は自宅に住んだ。その間10年間の別居が今の精神的に安定した生活の基盤になっているような気がする。
別居の勧めの一番の利点は、登美さんも書いているがそれぞれの自由(時間、空間)である。
自由であるためには、生活力が必要があった。
家人は学生時代から自炊の人であったから必要最低限のことは何でもできる。裁縫なら私よりも上手いと思っている。
生活力のある家人とそこそこ生活力の私はそれぞれ、別居の条件によく合う相方だった。
別居生活は70歳まで続き、その後、再び同居を始めた。お互いに干渉することがなくなった今の生活は非常に快適であり、夫も80歳を超えた今、再び同居するには良いタイミングであったかもしれない。しかし、別居生活は誰にでも容易にできるものではないと考える人も多いだろう。経済的な負担も大きいが、60歳台までなら少し働けば可能であると考える。私の場合は月に5日間の企画展を行い、諸々の諸経費を捻出していた。
少しの勇気と気力があれば、「なかよし別居」は不可能ではない。元気なうちに別居することで、夫婦の良好な関係を維持することができるのである。
登美さんが書かれた「ネコの最期が理想の幕引き」という文章には共感を覚えた。
ネコというのは、最期は誰にも見えない所に行って死ぬでしょう。旅先の路傍に腰かけて、空を見上げて「あぁ、今日も良い日だったなあ」とつぶやいて召されるのが理想。
中略
家族にべったりと看取られて逝くのはではないほうが良いと思っています。このまま別居生活が続けば、私としては、理想的な形で最期を迎えられるのではないかと期待しているのですが・・・。
このくだりには目を覚まされた。
死ぬときはひとりでもいいなーと思い始めている。
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