宴会の折詰と父

向田の「メロンと寸劇」は食べ物にまつわる彼女の記憶を回想した本だ。
一寸読んで、私と同じ体験をしているのではと、親近感がぐうーっと増した。
彼女の年齢は、私とは16才の差がある。
現在は1年で時代背景は目まぐるしく変わるけれど、戦後から10年程はどの家庭も同じような体験をしていたのだろうか。

向田の父は、宴会が多く折詰にした料理のお土産を持ち帰っては眠っている子供たちを起こして、食べさせた。
眠いのを我慢して嬉しそうに食べる子供の姿を見るのが、嬉しかったようである。
日ごろは厳格で怖い父親がこういう時は別人になるそうだ。
私にも似た経験がある。
折詰のおかずはご馳走で、冷たくなった大きな鯛が真ん中にあった。
私は赤や緑の大きな蒲鉾が楽しみだった。蒲鉾には経木の匂いが移っていた。
子供の私は余ほどうれしかったのか、未だに経木の匂いが好きだ。
近頃の弁当はプラスチック製であの懐かしい匂いはなくなった。
弁当のヘギの匂いに懐かしさを感じるのは私の世代で終わってしまったのか、とにかく懐かしい。
何故こんなに折詰が好きなんだろうと不思議だったけれど、この本を読んで合点がいった。

昔の父親は威厳があった。
近寄りがたいほど厳格だった父が亡くなった年齢を、はるかに超えた今、父の優しさや気の小ささが理解出来る。

私を本好きに仕向けたのも父だった。
出張のお土産は本だった。
初めて買って貰った本は「雨月物語」多分小学生だ。
本の装丁も怖くて開くことも無かった。
数年後だろうか、私にとって課題図書だったこの本を読んだ時は、初めて本の面白さに触れた気がした。今は内容を忘れているけれど、どんな本も読んでみようと思うきっかけにはなった。父は絵本や漫画は買ってくれなかった。

考えると母の記憶は父ほどはないのに、ほとんど接触のなかった父が私の中にどっかりといる。
今頃になって短気でせっかちで時にビックリする優しかった父のシャイな性格はそのまま私の性格ではないかと思い至る。
向田の「メロンと寸劇」は私を子供の頃に戻してくれた。

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