感情を揺さぶられたオリンピック観戦記

オリンピックが始まるまでは、それほど興味を持っていなかった。
しかし、いつの間にかテレビの前で何時間も観戦している自分に気づいた。
特に心に残ったのは、池江選手が水泳で敗れた際に「今のレースは…正直…頑張ってきた分だけ無駄だったのかって…そういうレースでした」と呟いた言葉である。

池江選手は「全ての時間を競技にかけて、厳しい練習を積んでここに立っている。」特別に選ばれた人、超人というイメージがあっただけに、この言葉に私は揺すぶられた。
池江選手の言葉から、生身の人間としての彼女を感じ取ることができ、その時からオリンピックへの関心が深まったのである。

メダルを期待され、日の丸を背負うことは、10代や20代の選手たちにとって重圧であることは想像に難くない。安倍詩選手が敗れた時、会場に響いた彼女の号泣には心を打たれた。
兄妹同時金メダルが期待され、そのために過ごした3年間を考えると、「あれは何だったのだろう」と思うのも当然である。
しかし、落ち着いた時、詩選手は「相手は本当に上手かった」と冷静に語っていた。世界一の選手と戦う以上、負けることもある。彼女のその言葉に、スポーツマンシップを感じたのである。
彼女が背負った重圧や、その中で戦い続けた姿に敬意を表しつつ、私たちもまた、それぞれの視点からオリンピックを楽しみ、考える機会を得たのである。

このオリンピックを通じて、さまざまな賛否両論や侃々諤々の意見が飛び交った。それでいいと思う。それぞれの視点からさまざまな意見が出ることで、スポーツの持つ多様な意味や価値を改めて考えさせられる。

オリンピックは、ただのスポーツの祭典ではなく、選手たちの努力や感情、人間ドラマが詰まった特別な舞台であることを改めて感じた。そして、その舞台に立つ選手たちの姿に、私たちは勇気をもらい、感動し続けるのである。

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