膝と向き合う日々──思わぬ“減量”と老いの自覚

膝を痛めてからというもの、以前のような運動量はまったくこなせなくなった。それまで日課としていた散歩や軽いストレッチも、思うように続けられず、体はどんどん鈍っていく。そんな生活が続く中、「体重が増えるのではないか」と実は内心ヒヤヒヤしていた。
ところが、予想に反して体重はむしろ減少した。体重計の数値が1kg近く下がっているのを目にした瞬間、思わず「ニンマリ」としてしまった。何の予定もなく、ただ淡々と日々を送っているだけなのに、まさかの“減量”──これには少し驚いた。
おそらく、何もできないもどかしさや不安が、知らず知らずのうちに心身にストレスとして作用していたのだろう。それが食欲や体の代謝に影響を及ぼし、結果として減量につながったのかもしれない。
そんな折、今度は歯が浮いてくるような違和感が出てきた。これまで気にも留めていなかった細かな不調が、まるで「ここにも異変がありますよ」とでも言うかのように、次々と顔を出す。弱り目に祟り目とはまさにこのことだと思った。
かつて母や姉たちが口にしていた「なんとも言えない不快感」。当時はよく分からなかったが、今となってはようやくその意味が理解できるようになった。そして、ふとした瞬間に自分の年齢を思い知らされる。「やっぱり80歳というのは、高齢者なのだ」と、ようやく自覚できたのだった。
自分の顔を見る機会は少ないため、老いに対する実感はあまり湧いていなかった。それに加えて、幸いなことに家人が私よりも元気に過ごしてくれているおかげで、ふたりして高齢者であることを、どこかで忘れてしまっていたのかもしれない。
そんな中、歯科に通院したことで、歯の浮くような不快感は次第に収まっていった。するとどうだろう、あれほどびくともしなかった体重計の数値が、上へとすぐに反応したのである。
膝が悪くなったとはいえ、どうしても切ることのできなかった体重計の“あのライン”を、ようやく下回った。1kgという数字が示す変化は、わずかなものであるかもしれない。けれど、心には確かな慰めとなった。
しかし、減量の喜びが薄れてくると、残るのは膝の痛みだけである。痛みのない毎日が、どれほど尊いものであったかを、今さらながら痛感している。
どうかこの膝が、一日も早く癒えてくれることを願うばかりである。
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